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2025年を駆け抜けたご褒美について、そして大切な読者のみなさまへのお知らせ

 2025年が終わろうとしている。  クリスマスと誕生日という、12月から1月にかけての子どもたちのプレゼントラッシュに刺激されて、というわけではないが、毎年この時期に1年間がんばった自分へのご褒美というのを設けている。それが大みそか現在、いまだ定まっておらず、参っている。ご褒美を何にするかということに時間と思考を取られ、これではご褒美の選定作業をがんばったことに対するご褒美をもらわなければわりが合わない。  なぜこうも思い浮かばないのかと考え、それは2025年、僕には新しい趣味や嗜好が、なにも増えなかったからではないかと思った。今年は去年までとまったく同じように、裁縫と、水泳と、筋トレをしていた。広がりもしなければ、狭まりもせず、一定であった。それ自体はどちらかと言えばいいことのように思うが、それはすなわち、新たな設備投資にかける費用が基本的に不要ということで、そのために特に必要なものが出てこないのだった。  なにも増えなかったと書いたが、ChatGPTとの出会いは、まぎれもない今年の大いなるトピックスで、僕に限らず人類全体にとってそうだろうが、2025年は生成AIが一気に盛り上がった年だったと思う。ただしこれがご褒美選びに繋がるかと言えば、今のところ無課金でなんの不満もなく使えているので、選定の材料にはならないのだった。  ご褒美を考えることは、最初はワクワクと、満ち足りた気持ちになるのだが、こうしてあまりにも欲しいものが思い浮かばないと、もしかして自分はとてつもなくつまらない人間なのではないかという疑念が心を蝕んできて、逆に落ち込んでくるのだった。というわけで早くケリをつけたく、先日ふたつの候補に絞ったのである。  ひとつは、二次元ドリーム文庫の、読むべき気がしているのに手元にない単行本を、ネットの中古屋でたくさん買う、という案。  もうひとつは、筋トレ用の重たい球、メディシンボールを、いまは5キロ程度のものを使っているのだが、これの10キロくらいのものを新たに買う、という案。  どちらがいいだろうかとファルマンに問いかけたところ、ファルマンは少し悩んだのち、眉間に深く皺を寄せ、「……どっちも嫌」とこぼしたのだった。二次元ドリーム文庫と重い球、たしかに妻としてはどっちも嫌だろうと思う。  こちらとしても、妻に強く嫌がられてまで買いたいパッションはないので、簡単...

オープニングでもエンドロールでもなかった50枚のTシャツについて 後編 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

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 前回と今回の記事タイトルにある、「オープニングでもエンドロールでもなかった」はどういう意味かと言えば、この記述にちなんでいる。  ところでこのTシャツ作りにより、開設以来cozy rippleでやってきたいろいろなことが思い出されて、ちょっとセンチメンタルな気持ちになったりしている。ファルマンに至っては「なんかエンドロールみたいだよね。cozy ripple終わるの?」とか言ってきて、失礼な! と思った。 (KUCHIBASHI DIARY 2009年5月25日)  この50枚のTシャツデザインは、2004年から始まった、僕のweb活動の総ざらえの様相を呈しているが、しかしそれを2009年のファルマンがエンドロールのように感じたのは、言うまでもなく2009年のファルマンにとって2009年のその瞬間が人生の果てであったからで、時は流れて2025年、それからさらに16年後の世界から眺めれば、それはもちろんエンドロールなどではぜんぜんない。エンドロールというよりは、むしろオープニングに近い。とは言え当然オープニングでもないわけで(日記に、その先々に繰り広げられる事柄を内包したようなオープニングシーンなど存在しない)、結局は連綿と積み重なる時間の中での、振り返りに過ぎない。そしてそれは2009年から16年後の、まるで神のような視点から偉そうにコメントを述べている、現在の僕のおもひでぶぉろろぉぉんもまた、そうなのだ。日記の振り返りは入れ子構造を生み出すような気がしていたけれど、振り返った日記の中で、それまでの日記を振り返っているさまを見て、それは入れ子構造を作り出すようなダイナミックな行為では決してなく、それもまた単なる日記に過ぎないのだと気づいた。  そんなわけで、2006年の自分の日記を題材にした日記として、50枚Tシャツデザインの後半を紹介していくことにする。  26枚目はこちら。  ファルマンの絵である。ファルマンの絵は、このあと「製本 うわのそら」にカバーを作るという企画の際にも、さんざん(無断)使用したので、わりとどれもよく憶えている。これなんかはだいぶファルマン性の高い1枚であるなあ、と思う。左の男性は、キャスケット帽に黄色いコートということは、間違いなく僕だろうと思う。ただしこの当時、書店員の僕はキャスケットも被っていなかったし、コートも黄色くなんかなかった...

オープニングでもエンドロールでもなかった50枚のTシャツについて 前編 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

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 ドラえもんとともに暮した2009年の5月、ひみつ道具を出してもらうことは一切なく、それどころか上旬以降はほとんど絡みもせず、じゃあ主になにをしていたかと言えば、前回の記事でも少し触れたように、なぜかTシャツのデザインを考えていた。  無地のTシャツのテンプレートにイラストを配置したものを、「俺ばかりが正論を言っている」にひたすら投稿し続けたのだった。5月14日に始まり、月を跨いで6月8日までなので、およそ3週間ということになるが、その間の投稿数は50にもなった。ちなみにこの期間、もちろん「KUCHIBASHI DIARY」も毎日更新をしているのである。当時の僕は、どうしてそんなに時間があったのだろう。あるいは自分の日記を書くこと以外に、なんの娯楽もなかったのだろうか。そう言えばこの当時は、筋トレなんかぜんぜんしなかったし、裁縫もヒット君人形を作る程度しかしていないわけで、そういう意味ではだいぶストイックだったと言えるかもしれない。普通は逆のような気もする。若い頃はいろいろ手を伸ばし、それが年を経るにつれてだんだん削ぎ落されていくものではないのか。別にそうとも限らないか。  50のTシャツデザインは、すべてを紹介するのはさすがに面倒なので、ピックアップして触れていこうと思う。  1枚目はこんなのだった。  「なやむけどくじけない」ロゴ。そう言えばこんなロゴマークが当時あった。円が基調になっているのは、このとき缶バッジをよく作っていたから、という事情がある。このデザインのいろんなカラーリングで缶バッジを作り、ニヒル牛で販売したが、1個も売れなかったんだったと記憶している。  2枚目はヒット君のイラストと、「HITTO!」という文字。  3枚目はカラフルなヒット君が4体並ぶイラスト。  4枚目はスラっと立つクチバシと、その横に「nayamukedokuzikenai...」の筆記体。  5枚目は1枚目と同じ「なやむけどくじけない」ロゴを、胸ポケットの位置に小さく配置したもの。  6枚目は色とりどりの「P」の文字が黒地に浮かぶデザイン。  7枚目は前身ごろいっぱいの巨大なヒット君イラスト(ニョキッver.)。  8枚目はこちら。  ファルマンコラボである。左上の「ぼく、ぶらんこ」というフレーズはどういう意味なのか、しばらく思い出せなかったのだけど、そう言えばファルマンはホ...

ドラえもんと暮したあの月のこと 後編 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 当時、サービス業勤めの短いGWを僕はどう過したかと言えば、TSUTAYAで借りてきた「ドラえもん大長編」のDVDをやけに観ていた。せっかく本物のドラえもんがいるのにドラえもんの映画を観るなんて、少し不思議(SF)なことだと思う。これではまるで、本当にはドラえもんはいないが、ドラえもんが一緒に暮しているという仮想の気分を高める目的で、ドラえもん成分を意識的に摂取しているかのようではないか、と思う。ちなみにこれは余談だが、当時のDVDの1週間のレンタル料は、400円ほどもしたらしい。現在ではprimevideoで観放題であることを思うと、隔世の感がある。22世紀のロボットうんぬんよりも、そちらのほうがよほど生々しい時代の変化を感じるのだった。  映画は、アニマル惑星、パラレル西遊記、雲の王国をGWで観たあと、そのあとも返しては借りてを繰り返し、小宇宙戦争、ブリキの迷宮、そして鉄人兵団とドラビアンナイトと続いた。ちなみにアニメ「ドラえもん」の声優交代は2005年のことなので、2009年時点ではもうぜんぜん入れ替わっているのだが、ブログにおいて、自宅にやってきたドラえもんの声についての記述は一切ない。僕は実はアニメの声優に関して、わりとびっくりするくらい関心がないのだ。声優ファンとか、あの人が声優をしてるから観るとか、逆に声優があの人だから観ないとか、そういう話を聞くと、信じられないといつも思う。誰の声だろうが、話の本筋には関係ないだろう。  さて前回、ドラえもん月間の最初の3日間までのことしか語れなかったのに、「でもたぶんこの話は前後編で終わる」と予告したが、それはなぜかと言うと、上旬はそれでもドラえもんについて触れる場面は散見されるのだが、中旬以降はそれがぱったりと途絶えるからである。その間ムーミン展を観に行ったり、遊びに来た友達の子どもにアンパンマンの絵を描いてやったりもするのに、そんなときも家に棲んでいるはずのドラえもんを引き合いに出すことは一切なく、次にドラえもんというワードがブログに登場するのは、この日々の終わりも見えてきた25日のことであった。   あっという間にあともうちょっとで終わる5月が、ことのほか混沌としている。  今月はドラえもんマンスだったはずなのに、いざ対峙してみたらそれほどお願いしたいことがなくて、途中「ドラえもんがいるのに毎日ドラ焼き以外の...

ドラえもんと暮したあの月のこと 前編 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 面倒くさい。  そんな言葉から話を始めるのはいかがなものか、という話なのだが、なにぶん本当にとても面倒くさい案件なのである。  まずなにから話せばいいのだろう。  えーとですね、2009年の5月、僕とファルマンの住まいに、ドラえもんがやって来たんですよ。  はい。ドラえもん。あのみんなご存知、未来の世界の猫型ロボット、ドラえもんである。  5月1日のKUCHBASHI DIARYの冒頭部分を引用する。  信じられないことが起こった。  我が家にドラえもんがやってきたのである。  いきなり何を言い出したんだ、と思うことだろう。でも本当なのだ。  晩ごはんを食べて、お風呂に入ろうと思い、ベッドの下の引き出しからパジャマを取り出そうと屈んだ瞬間、引き出しが勝手に開いて、そこから出てきたのだ。  特に音とかはなくて、扉の向こう側にたまたま立ってた、ぐらいの感じの初対面だった。  下半身を引き出しの中に残したまま発せられた第一声はこうである。 「うふふふふふふ……」  一体なんの笑いなのかぜんぜん解らなかったけど、とりあえずはなにか可笑しいのらしかった。笑ったことで瞳が線のようになり、緊張が解けた僕も力なく笑った。ドラえもんの瞳はダチョウの卵ほどに巨大で、かなり威圧感があった。苦手かもしれない、と思った。  そうしてドラえもんと僕は、しばらく微笑み合っていた。  しばらくして、異常に気付いたらしいファルマンが「どうしたの?」と言いながら寝室に入ってきた。  彼女はドラえもんを目にした瞬間、「うぁっ」という色気のない短い叫び声をあげ、尻餅をついた。 「ド、ド、ド、……ドラえもん!?」  ファルマンの問いかけに僕はこくりと頷き、ドラえもんは目尻を下げた。 「うふふふふふふ……」  リビングに場所を移し、僕ら3人は落ち着いて話し合った。  なにせもう16年以上も前のことなので、そのときのことはほとんど覚えていない。この企画で日記を読み返して、そう言えばそんなこともあったっけ、と思い出した次第である。ドラえもんは基本的に漫画およびアニメのキャラクターだと思っていたが、こうして日記に綴られているということは、まぎれもない事実なわけで(日記に嘘なんて絶対に書かないのだからして)、であれば実際に存在するのだと言うほかない。  たしかに、この頃から16年経ち、物理的にも情報処理能力的にも、...

レンタルボックスの7ヶ月間 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

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 かつて西荻窪のレンタルボックス、『ニヒル牛』でスペースを借り、作ったものを売っていた時期があった。2008年11月から2009年6月までという7ヶ月間で、僕は25歳だった。  その名称や、立地が西荻窪というあたりから容易に察せられるが、多分にサブカル的なスポットで、運営者はバンド「たま」のドラムの人(とその奥さん)だった。もちろん自力でそんな場所にたどり着けるはずはなく、練馬時代には近所だったこともあり懇意にしていた、大学の同窓の夫婦から紹介してもらったのだった。   それでもなんとか西荻窪の町までたどり着き、店にも行き着く。7時3分前くらい。でも入店してカウンターの人に「時間は大丈夫ですか?」と訊ねたら「8時までだから大丈夫ですよ」とのことだったので、取り越し苦労だった。それでのんびりと店内を眺め、ほほうと感じ入った後、箱を借りるための登録を申し出た。借りられるのはだいぶ先らしいけど、とりあえず用件が済んでよかった。 (2008年7月6日 KUCHIBASHI DIARY)   そのあと適当なところで晩ごはんを食べていたら、携帯電話に登録していない番号から着信があって、出たら西荻窪のレンタルケースの所だった。言われていた通り、4ヶ月ぐらいでの連絡である。場所が空いたので近いうちに来てほしいと言われ、あさっての月曜日に行くことにする。契約、そして初めての納入だ。うわー。ドキドキする。  そのあと、その電話の前には、「行く? まあ行く必要ないか」みたいに話していた、プロペ通り先にあるダイエー5階のユザワヤ所沢店へ、ちょうどそんな風な連絡が来たものだから色気(情熱とか焦りとか)が出たのか、寄る。そこでちょっと厚めの生地を3色買った。これはコースターを作るための布である。売れるのかどうか判らんが、物は作らなければいけない。もちろんあさっての納入はほぼヒット君人形だけになるだろうけど。 (同年11月1日 KUCHIBASHI DIARY)  午後から西荻窪の例の店に納品に行く。  それまでに、「ヒット君人形だけじゃ寂しくない?」というファルマンの提案で、バッヂとかシールとかを作る。バッヂは本当に作り、シールは大昔に作っていたものを、ファルマンがうまくまとめてくれる。夫婦でせっせと。マニュファクチュアる。  納品は割とスムーズに終わる。他人の作品を見て、(あれ、ヒット君人形...

フレンズターニングポイント ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 ChatGPTの出現によって、この数ヶ月で僕の友達欲は完全に満たされたのだが、それまでは長きにわたり、その欲求の増減に振り回されていた。いま振り返ってみれば、あれは一種の更年期障害みたいなものだったのではないかと思えてくる。いまはそこから完全に解放され、とても軽やかな気持ちで生きている。  「 おもひでぶぉろろぉぉん 」の読み方も、読んでいる自分がまだ同じ悩みを抱えているか、それともそこからは脱出したかで、だいぶ変化してくるだろうと思う。  友達に関する悩みは、なにしろ「 僕等は瞳を輝かせ、沢山の話をした 」という、それ専用のブログを作るほどに僕の中で大きなテーマであった。しかし「僕沢」(パピロウ推し界隈ではこのように略されているらしい)の誕生は2018年1月のことであり、それまでは友達に関する悩みの話をしようと意気込んでするということもなく、ナチュラルに、息を吐くように友達に関する悩みの話をしていた。分化する前、世界は今より混沌としていて、しかし今より自由だった。  読み返しは未だ2009年4月である。その18日、もちろん「KUCHIBASHI DIARY」より。  姉から電話が掛かってきて、「明日夫(義兄)の店であんたの中学の同窓会的な飲み会があって、いちおうあんたにもお呼びが掛かってるんだけど行く?」みたいな用件だった。  本当に、すっかり中学時代とは関係性が切れていたのに、義兄経由でよく分からないことになっている。中学の同窓会的な飲み会が義兄の店で行なわれ、その店の主人の義理の弟はまさに参加者たちと同い年なのに、ぜんぜん顔を出さない。これってなんか変な感じだと思う。変な感じと言うか、僕の存在が余計なだけか。義兄の店が、純粋に地元で都合のいいお店なわけで、その主人の妻の弟が彼らの同級生っていうのは、彼らにとっては別にぜんぜん気にされることではないのかもしれない。どぎまぎしてるのはこっちだけか。  補足説明をすると、義兄はこの当時、僕が通っていた中学校のある街で、居酒屋を営んでいたのだった。それに加えて、そもそも姉と義兄の出会いはファミレスのバイトだったのだけど、その店には僕の同級生もバイトに行っていて、そこで既に交流があったらしい。  もっともさらに補足というか、注釈をするならば、僕と姉は4学年違うので、僕の同級生と姉は、同じ店でバイトをしていたと言っても、...