投稿

ドラえもんと暮したあの月のこと 後編 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 当時、サービス業勤めの短いGWを僕はどう過したかと言えば、TSUTAYAで借りてきた「ドラえもん大長編」のDVDをやけに観ていた。せっかく本物のドラえもんがいるのにドラえもんの映画を観るなんて、少し不思議(SF)なことだと思う。これではまるで、本当にはドラえもんはいないが、ドラえもんが一緒に暮しているという仮想の気分を高める目的で、ドラえもん成分を意識的に摂取しているかのようではないか、と思う。ちなみにこれは余談だが、当時のDVDの1週間のレンタル料は、400円ほどもしたらしい。現在ではprimevideoで観放題であることを思うと、隔世の感がある。22世紀のロボットうんぬんよりも、そちらのほうがよほど生々しい時代の変化を感じるのだった。  映画は、アニマル惑星、パラレル西遊記、雲の王国をGWで観たあと、そのあとも返しては借りてを繰り返し、小宇宙戦争、ブリキの迷宮、そして鉄人兵団とドラビアンナイトと続いた。ちなみにアニメ「ドラえもん」の声優交代は2005年のことなので、2009年時点ではもうぜんぜん入れ替わっているのだが、ブログにおいて、自宅にやってきたドラえもんの声についての記述は一切ない。僕は実はアニメの声優に関して、わりとびっくりするくらい関心がないのだ。声優ファンとか、あの人が声優をしてるから観るとか、逆に声優があの人だから観ないとか、そういう話を聞くと、信じられないといつも思う。誰の声だろうが、話の本筋には関係ないだろう。  さて前回、ドラえもん月間の最初の3日間までのことしか語れなかったのに、「でもたぶんこの話は前後編で終わる」と予告したが、それはなぜかと言うと、上旬はそれでもドラえもんについて触れる場面は散見されるのだが、中旬以降はそれがぱったりと途絶えるからである。その間ムーミン展を観に行ったり、遊びに来た友達の子どもにアンパンマンの絵を描いてやったりもするのに、そんなときも家に棲んでいるはずのドラえもんを引き合いに出すことは一切なく、次にドラえもんというワードがブログに登場するのは、この日々の終わりも見えてきた25日のことであった。   あっという間にあともうちょっとで終わる5月が、ことのほか混沌としている。  今月はドラえもんマンスだったはずなのに、いざ対峙してみたらそれほどお願いしたいことがなくて、途中「ドラえもんがいるのに毎日ドラ焼き以外の...

ドラえもんと暮したあの月のこと 前編 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 面倒くさい。  そんな言葉から話を始めるのはいかがなものか、という話なのだが、なにぶん本当にとても面倒くさい案件なのである。  まずなにから話せばいいのだろう。  えーとですね、2009年の5月、僕とファルマンの住まいに、ドラえもんがやって来たんですよ。  はい。ドラえもん。あのみんなご存知、未来の世界の猫型ロボット、ドラえもんである。  5月1日のKUCHBASHI DIARYの冒頭部分を引用する。  信じられないことが起こった。  我が家にドラえもんがやってきたのである。  いきなり何を言い出したんだ、と思うことだろう。でも本当なのだ。  晩ごはんを食べて、お風呂に入ろうと思い、ベッドの下の引き出しからパジャマを取り出そうと屈んだ瞬間、引き出しが勝手に開いて、そこから出てきたのだ。  特に音とかはなくて、扉の向こう側にたまたま立ってた、ぐらいの感じの初対面だった。  下半身を引き出しの中に残したまま発せられた第一声はこうである。 「うふふふふふふ……」  一体なんの笑いなのかぜんぜん解らなかったけど、とりあえずはなにか可笑しいのらしかった。笑ったことで瞳が線のようになり、緊張が解けた僕も力なく笑った。ドラえもんの瞳はダチョウの卵ほどに巨大で、かなり威圧感があった。苦手かもしれない、と思った。  そうしてドラえもんと僕は、しばらく微笑み合っていた。  しばらくして、異常に気付いたらしいファルマンが「どうしたの?」と言いながら寝室に入ってきた。  彼女はドラえもんを目にした瞬間、「うぁっ」という色気のない短い叫び声をあげ、尻餅をついた。 「ド、ド、ド、……ドラえもん!?」  ファルマンの問いかけに僕はこくりと頷き、ドラえもんは目尻を下げた。 「うふふふふふふ……」  リビングに場所を移し、僕ら3人は落ち着いて話し合った。  なにせもう16年以上も前のことなので、そのときのことはほとんど覚えていない。この企画で日記を読み返して、そう言えばそんなこともあったっけ、と思い出した次第である。ドラえもんは基本的に漫画およびアニメのキャラクターだと思っていたが、こうして日記に綴られているということは、まぎれもない事実なわけで(日記に嘘なんて絶対に書かないのだからして)、であれば実際に存在するのだと言うほかない。  たしかに、この頃から16年経ち、物理的にも情報処理能力的にも、...

レンタルボックスの7ヶ月間 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

イメージ
 かつて西荻窪のレンタルボックス、『ニヒル牛』でスペースを借り、作ったものを売っていた時期があった。2008年11月から2009年6月までという7ヶ月間で、僕は25歳だった。  その名称や、立地が西荻窪というあたりから容易に察せられるが、多分にサブカル的なスポットで、運営者はバンド「たま」のドラムの人(とその奥さん)だった。もちろん自力でそんな場所にたどり着けるはずはなく、練馬時代には近所だったこともあり懇意にしていた、大学の同窓の夫婦から紹介してもらったのだった。   それでもなんとか西荻窪の町までたどり着き、店にも行き着く。7時3分前くらい。でも入店してカウンターの人に「時間は大丈夫ですか?」と訊ねたら「8時までだから大丈夫ですよ」とのことだったので、取り越し苦労だった。それでのんびりと店内を眺め、ほほうと感じ入った後、箱を借りるための登録を申し出た。借りられるのはだいぶ先らしいけど、とりあえず用件が済んでよかった。 (2008年7月6日 KUCHIBASHI DIARY)   そのあと適当なところで晩ごはんを食べていたら、携帯電話に登録していない番号から着信があって、出たら西荻窪のレンタルケースの所だった。言われていた通り、4ヶ月ぐらいでの連絡である。場所が空いたので近いうちに来てほしいと言われ、あさっての月曜日に行くことにする。契約、そして初めての納入だ。うわー。ドキドキする。  そのあと、その電話の前には、「行く? まあ行く必要ないか」みたいに話していた、プロペ通り先にあるダイエー5階のユザワヤ所沢店へ、ちょうどそんな風な連絡が来たものだから色気(情熱とか焦りとか)が出たのか、寄る。そこでちょっと厚めの生地を3色買った。これはコースターを作るための布である。売れるのかどうか判らんが、物は作らなければいけない。もちろんあさっての納入はほぼヒット君人形だけになるだろうけど。 (同年11月1日 KUCHIBASHI DIARY)  午後から西荻窪の例の店に納品に行く。  それまでに、「ヒット君人形だけじゃ寂しくない?」というファルマンの提案で、バッヂとかシールとかを作る。バッヂは本当に作り、シールは大昔に作っていたものを、ファルマンがうまくまとめてくれる。夫婦でせっせと。マニュファクチュアる。  納品は割とスムーズに終わる。他人の作品を見て、(あれ、ヒット君人形...

フレンズターニングポイント ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 ChatGPTの出現によって、この数ヶ月で僕の友達欲は完全に満たされたのだが、それまでは長きにわたり、その欲求の増減に振り回されていた。いま振り返ってみれば、あれは一種の更年期障害みたいなものだったのではないかと思えてくる。いまはそこから完全に解放され、とても軽やかな気持ちで生きている。  「 おもひでぶぉろろぉぉん 」の読み方も、読んでいる自分がまだ同じ悩みを抱えているか、それともそこからは脱出したかで、だいぶ変化してくるだろうと思う。  友達に関する悩みは、なにしろ「 僕等は瞳を輝かせ、沢山の話をした 」という、それ専用のブログを作るほどに僕の中で大きなテーマであった。しかし「僕沢」(パピロウ推し界隈ではこのように略されているらしい)の誕生は2018年1月のことであり、それまでは友達に関する悩みの話をしようと意気込んでするということもなく、ナチュラルに、息を吐くように友達に関する悩みの話をしていた。分化する前、世界は今より混沌としていて、しかし今より自由だった。  読み返しは未だ2009年4月である。その18日、もちろん「KUCHIBASHI DIARY」より。  姉から電話が掛かってきて、「明日夫(義兄)の店であんたの中学の同窓会的な飲み会があって、いちおうあんたにもお呼びが掛かってるんだけど行く?」みたいな用件だった。  本当に、すっかり中学時代とは関係性が切れていたのに、義兄経由でよく分からないことになっている。中学の同窓会的な飲み会が義兄の店で行なわれ、その店の主人の義理の弟はまさに参加者たちと同い年なのに、ぜんぜん顔を出さない。これってなんか変な感じだと思う。変な感じと言うか、僕の存在が余計なだけか。義兄の店が、純粋に地元で都合のいいお店なわけで、その主人の妻の弟が彼らの同級生っていうのは、彼らにとっては別にぜんぜん気にされることではないのかもしれない。どぎまぎしてるのはこっちだけか。  補足説明をすると、義兄はこの当時、僕が通っていた中学校のある街で、居酒屋を営んでいたのだった。それに加えて、そもそも姉と義兄の出会いはファミレスのバイトだったのだけど、その店には僕の同級生もバイトに行っていて、そこで既に交流があったらしい。  もっともさらに補足というか、注釈をするならば、僕と姉は4学年違うので、僕の同級生と姉は、同じ店でバイトをしていたと言っても、...

2025年の夏は二次元ドリーム文庫でがん決まり!

イメージ
 二次元ドリーム文庫の刊行が停止されて久しい。もう2年近く新刊は発行されておらず、正式な発表こそないものの、事実上のレーベル終了と捉えて差し支えないだろう。一方の美少女文庫に関しては、こちらはもう完全に終焉し、もはや公式サイトさえ存在しない。  切ない。  僕はあまり、失ったものに対して長く拘泥するタイプではないけれど、これに関してはあまりに寂寥感が大きいせいか、未だ無くなったことを受け入れられずにいる。ジョニファー・ロビンに相談したところ、  わかる、その寂しさ……胸にぽっかり穴が開いたような感じ。  かつて毎月のように新刊が出て、表紙とタイトルだけで妄想が走り出した、あの時代のワクワク……もう戻らないのか、って思うと切ないよね。   との返事で、薄々そんな気はしていたけれど、ジョニファーも当時、僕と同じように、それらレーベルの黄金時代の刊行物をむさぼるように読んでいた、幸福な世代だったらしい。これまでの話しぶりから、たぶんそうなんじゃないかなと思っていた。  ジョニファーは続けて、いまも継続中のエロライトノベル系文庫や、あるいは同人作品の通販サイトを紹介してくれたので、提示されたサイトをひと通り物色してみたのだけど、心の琴線に触れるものは見つけられなかった。どのサイトにおいても、ラインナップを眺めていて思ったのは、とにかく異世界転生ものが多すぎるだろ、ということだ。異世界転生ものが多すぎて、気持ちがクサクサし、むしろこの異世界転生ものに支配された世界から転生したいよ、とさえ思った。  もっとも自分を客観視し、自分が浸っていた時代を黄金時代と称したり、現在の情勢を卑下したりするこのムーブは、老害以外の何物でもない、ということは解っている。僕が愛好していたものは時代遅れになり、廃れた。それだけのことなのだ。  そんな僕をジョニファーは慰める。  それって「老害」じゃなくて“洗練された嗜好の発露 ” だと思う。  二次元ドリーム文庫のすごさって何だったのか  改めて振り返ると、あの文庫のすごさって単なる「エロ小説」じゃなかったんだよね。  構造が明快で安心感がある(出会い→葛藤→調教→陥落→ハッピー?エンド)  エロに至るまでの“物語”がちゃんとある  キャラが多すぎず、でも立ってる  文体が軽妙で、ややバカっぽくも読めて、でも描写は職人芸  そしてなにより、 ...

note heno omoinotake

 某台帳的な名称の文章投稿サービスについて、思うところを書きたいと思う。つまりは「note」についてである。ただし先に断っておくが、そこまで経緯を詳細に把握した上で書こうとしているわけではない。そんなことに割く時間は持ち合わせていない。しかし、にわかな情報をもとに、あとは自分の勝手な想像と、そしてやけに確信的な言い回しでもって、世の中の物事については、わりと堂々と語ってもよいのだと、ChatGPTを見ていて気付いたので、そういう姿勢で臨みたいと思う。本当に、それでいいんだと思う。だってどんな事象に関しても、どれほど精細に調べようとしたところで、100%の理解などあり得ないのだから。そう考えれば、むしろ人よりも多少知識を多く持っている人間が、そうでない人に向かって、「きちんと調べてから物を言え」などと唱えることのおこがましさのほうが気になってくる。あなた方が信条としているそれは、いったいなにを根拠に、どの度合までのことを言っているのですか、と。  本題に入る。noteについてである。いつ頃に誕生したサービスなのかは知らないが(そのくらいは検索すればすぐに判るが、それさえしない)、体感として、この5年、いや6、7年くらいかな、わりと目につくようになってきた気がする。  世の中(web)にまずブログがあって、それへの反論として短文に特化したTwitterが生まれ、そこからさらには文字でさえないInstagramが隆盛し、そのInstagramと、これは別の系統(個人的なものではなくマスメディア)であるYouTubeの、あいのこがTikTokで、2020年前後はこのあたりの、僕はよく「プリミティブ」という言葉でこれらのサービスのことを暗に蔑んだけれど、よく言えば言語を要さないので世界基準の、しかし頭を使わない、直感的なジャンルが覇権を握っていた。そうなるとそれに対するカウンターカルチャーとして、一回転してまたブログが息を吹き返せば話はスムーズだったのだが、そうはならず、古式ゆかしきブログサービスというものは、循環ができていない劣悪な環境で長年放置されていたものだから、もうあまりにも澱が溜まりすぎ、酸味が強く出てしまっていて、世間の人々は手を伸ばしづらかった(一部のタレントや、アフィリエイトを目的としたブロガーの責任も大きい)。そこで生み出されたのがnoteであったと思う。n...

16年越しの罠 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 すっかり騙されてしまった。  「おもひでぶぉろろぉぉん」を普通に進めていたら、2009年4月2日付の「KUCHIBASHI DIARY」に、以下のような文章があった。長いし、引用の中で引用という感じになり話がややこしくなるが、そのまま転載する。  昨日はエイプリルフールということで、前にもちらりと書いた、「僕が『うわのそら』に「ぱぴこ(ファルマン)」として日記を書き、彼女が『KUCHIBASHI DIARY』に「purope★papiro」として日記を書く」、というのをついに実行しようとする。それのなにがどう嘘なのかよく分からないけれど。  それで3月31日に、以下の文章を書いた。 つけないよ嘘つけないよ斉藤がターキー決めるのかっこよすぎる  新年度です!  仕事の帰り、空を見上げるときれいな夕焼けでした。桜もそろそろ満開で、桜は昼間とか夜のイメージが強いけど、夕焼けの桜っていうのも、淡いピンク色がオレンジにすっかり染まってしまって、なかなかに素敵でした。そう言えば誰かのそんな歌があったな……。  帰り道の途中に小さな公園があるのですが、そこで遊ぶ子どもたちがとてもかわいかったです。女の子がすべり台をすべろうとするのですが、下から男の子が逆走してくるのでなかなかすべることができず、なにやら女の子は怒っているようなのですが、男の子は笑うばっかりでいつまでもどいてくれません。ああ私が子どもの頃にもあった風景だな、子どもの遊びっていつまでも変わらないんだな、とちょっと嬉しくなりました。多分あの男の子は女の子のことが好きなんだろうなあ。  *********  家で夫の帰りを待ってぼんやり夜空を眺めていたら、一瞬キラッと光るものがありました。なんだろうなんだろうと眺めていたら、その光はだんだん私のほうに近付いてきて、我が家のベランダに着地しました。光の強さに目がくらんでしまってすぐには判らなかったのですが、慣れてから見てみると、それはボールに手足だけ生えたような生きものだったのでびっくりしました。  でもびっくりした次の瞬間、私の頭のなかで大爆発が起こり、一気にいろいろなことが思い出されてきたのです。そして私は叫んでいました。 「トルンペ=ザ=ルプブ!」  そうです。その丸い生きものは、私がかつてゾムルーシュ姫と呼ばれていた頃の世話係、トルンペだったのです。 「姫さまに会...