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7月, 2023の投稿を表示しています

辿り着く物語 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 無職期の手書き日記を読み終え、2006年6月に開始した「俺ばかりが正論を言っている」の読み返し作業に入っている。情報カードに手書きしたものを、スキャンしてアップするという形式のこのブログが、メインブログだった時期というのが実はあったのだ。「KUCHIBASHI DIARY」がスタートするのが2007年の元日からなので、それまでの半年余りはこれがメインブログ、はてなダイアリーの「pee★pee★mur★mur」がサブブログ、という感じでやっていたらしい。歴史だなあ。  6月の終わりごろの記述で、大学の近くの街のアパートに引っ越したのに、友達がひとりも来ないことに触れ、「友達って、本当にどうすればできるのだろう。面倒臭くない、気持ち悪くない、ウザくない友達って。」というのがある。  このときの僕がどの程度の本気度合だったのかは定かではないが、たとえ大学の近くの街に引っ越そうが、自分から積極的に来訪を呼び掛けるというのならまだしも、ブログの記述などから察して(そもそも当時から大学時代の知人がブログを読んでいたとも思えない)、ぜひ遊びに行きたいなどと申し込んでくるはずがない。今なら明確にそれが解る。どうも僕は友達に関して、察してちゃんと言うか、あまりにも受け身の姿勢だ。友達は、きちんと相手まで届く触手を伸ばした人だけが獲得できるもので、向こうから勝手に舞い込むものではない。この真実に到達するまでに、この22歳の青年は、これからも延々と、それはもう延々と、自分にはなぜ友達ができないのかの苦悩をブログに叫び書き続けることとなる。その未来が判っている青年の、まだまだライトな、浅瀬に足首を浸すだけの戯れのような、友達がいない話が、逆に切ない。  あとこの時期、僕は武者小路実篤に嵌まっていて、だいぶ影響を受けている様子が見てとれる。2ヶ月遅れの就職をして、そして約2ヶ月間の勤務で退社する会社に勤めながら、実篤の言葉に救いを求める。果たしてこれは健全なのかどうなのか。  生きることと悩むことはほとんど同義語だから、それはきっとどうすることもできない。できないでいい。  ただし悩みのタイプを考えたとき、それはいつでも上向きのものであるべきだと思う。要するにウジウジしたりとかイジけたりとかはしたくない。無駄だし救いがない。  ぼくは負けたくないし、それに負けないのだと思う。なぜなら僕はい

SNSと有名人と群衆について

 りゅうちぇるの自死を受けて、いろいろ思うところがあった。  遺書がないようなので決定的な動機は不明だが、世間からいじられ、叩かれまくっていたので、どうしたってそれが引き金になったのだろうと考える向きがある。そのため今回の報道後、やっぱりSNSで誹謗中傷をするのはよくないよ、という論調が高まった。  誹謗中傷がよくないことなのは、それはそうなのだけど、じゃあ有名人の生き方って一体どんな状態が健全なのだろう、という話になってくる。なにをしても、例えばアベノマスクをブラジャーにしても、叩かれもせずに完全にスルーをされるのだとしたら、そのSNSはもうSNSじゃないだろう。いやそういう、底辺の例ではなく、健全な投稿に対し、健全なコメントだけが寄せられればいいのだ、というのは理想論だけど、しかしそれはなんとつまらない、つまらないと言うか、異様で気持ち悪い世界だろうか。前にビジネス界の話で、ある会社では「おつかれさまです」を禁止し、その代わりに「お元気さまです」と言うようにした(そうしたら業績がこんなにアップした)、というのを目にしたことがあるけれど、それに通ずる気持ち悪さだ。人の、マイナスの感情を、強権で圧しようとしている。そこにおぞましさがある。  だから有名人は、有名税として、人々のマイナスの感情をぶつけられても仕方ないのだ、と言いたいわけでもない。いまどきそんなことを声高に言ったら、どれほどの阿呆かと思われることだろう。しかし声高に言いたいわけではないが、ひっそりと、「ある程度、しょうがない部分は、あるよ……」と、このタイミングであっても、言わざるを得ない。完璧にちやほやだけされるのは無理だ。現実世界では絶対に無理だ。もしもなんの瑕もない人がいても、瑕がないことを謗る人がいるからだ。実際、瑕がなんにもない人間の、なんと憎たらしいことか。  そういう感情を持ってしまうのは仕方ない、それでも、それをSNSに書き込まないこと、その倫理観こそが大事なのだ、という、そこに訴えてゆくというのが、考えられる最良の手だけど、逆に言えば、それくらいのことしかできないし、そもそもその訴えで考えを改めるような人は、はじめからわざわざSNSで誹謗中傷は書き込まないだろうとも思う。  言論の自由というのがあって、「それは言ってはいけない」とかは、あまり言えないことになっている。数年前の事件から、