投稿

2月, 2023の投稿を表示しています

おもひでぶぉろろぉぉん発掘作業記録

 おもひでぶぉろろぉぉんの読み返し作業は、2005年の9月に至り、つまり僕は21歳から22歳になったのだが、「purope★papiro★cantabile」において、9月までは日数よりも多い数あった記事数が、10月から一気に減った(7しかない)のを見て、これはどうも説明などは一切ないが(ホームページのほうで告知したのかもしれない)、この時期にブログサービスの移行がなされたらしいぞ、と察しをつける。いま「purope★papiro★cantabile」は、エキサイトブログに投稿されたものを読んでいるわけだが、それはドリコムが終了するにあたり、それまでの記事を移したものであって、実は僕には本式にエキサイトブログをがっつりやっていた時期というのはないのだった気がする(エキサイトブログと言えばファルマンだ)。  しかし「KUCHIBASHI DIARY」の開始は2007年の1月だし、手書きブログ「俺ばかりが正論を言っている」も2006年6月からと、どうにもここには隙間があるのだった。しかしこの作業を始めてから、だんだん脳の回路が開いてきたのか、当時の記憶がじわじわと思い出されてきていて、それからするとこの隙間を埋めるのは、「pee★pee★mur★mur」という、はてなダイアリーでやっていた日記なのだった。  そうなのだ、僕にははてなダイアリーをしていた時期というのがあったのだ。しかしその存在も、事実も、これまですっかり忘れていた。ブラウザの「papiro」フォルダには、歴代のほとんどのブログをブックマークしているつもりでいたが、なにぶん数が多いので、こんな見落としもどうしたって出てくる。たぶんこのあとも出てくるだろうと思う。  よしそれでは「pee★pee★mur★mur」を確認しようじゃないかと、そこに飛ぼうとする。よく見れば「cantabile」のサイドバーに「cozy sites」と銘打った、オリジナルのはてなアンテナがリンクされていた。自分のブログだけが登録されたはてなアンテナであり、ということはこれは、現在の「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」と、やろうとしていることはほぼ同じだ。昔からやっていることが変わっていないな。  その中に「pee★pee★mur★mur」もあったので、クリックする。すると「非公開です」みたいな文言が表示されて、内容を読

2004年ブログ元年 おもひでぶぉろろぉぉん・1

 おもひでぶぉろろぉぉん、ということで、過去の日記を読み返している。まだ2004年を読み終えていない。2024年の20周年を照準に、こうして1年以上前から開始したこの企画だが、1年あまりで20年分の日記を読むなんて、けっこう困難なのではないかと思えてきた。なにしろ2013年くらいまでは、基本的に毎日更新だったのだ。だから文量がすごくあるのだ、と書こうと思ったが、実際に読んでいると、毎日更新を続けるための更新というのもけっこうあって、2行くらいのジョークなんかで済ましている日も少なからずある。そういう日々の記事と、最近の、3日や4日ごとの更新だが書き出すとやけに長々と書いていたりする記事では、実は文章量というのはそんなに変わらないのかもしれないと思う。  それにしても若い。青い。若いときはもっとひねくれているのかと思っていたが、感動したことにはきちんと感動したと言っていたり、社会の悪に対して義憤に駆られていたりと、想像よりもはるかに素直でまっすぐだ。今はもう、そういう感情をあまり抱かなくなったというのもあるが、抱いたとしても、ブログには書かない。これは僕自身の心境の変化ももちろんあるが、時世というのも大いにあると思う。この当時、ブログ、もといその言葉はまだあまり一般的ではなくて、「web日記」みたいな言葉で総称していたような気がするけれど、それが個人の運営するネット上の表現手段としてほとんど唯一だったため、なんでもかんでもがそこに綴られたのだ。今はその手の、社会との接触で感情が動いた主張みたいなものは、たぶんTwitterの領分になっていると思う。  読み返すにあたり、当時の社会のことや、インターネット世界のことなども、理解を深めるために併せて振り返っており、すると懐かしいワードがいくつも現れて、脳の中の納戸みたいな部分が揺さぶられる。  いま読んでいる2004年は、2月に「ふたりはプリキュア」が放送開始し、3月に江角マキコの年金未納騒動、4月に東京メトロが発足し、6月に鈴木福と芦田愛菜が生まれ、8月にアテネ五輪が開催され、10月にイチローが262安打、11月に紙幣が新しくなり(野口英世、樋口一葉)、12月にニンテンドーDSとプレイステーションポータブルが発売された。そういう年である。  インターネット世界、特にブログ界隈のことを見れば、2004年というのが実際ブログ