結婚式からの脱出 ~おもひでぶぉろろぉぉん~
おもひでぶぉろろぉぉんの間隔がひどく開いてしまった。前回、結婚式の準備の日々のことをやって、「次はいよいよ結婚式である」と書いて、そのまま約2ヶ月が経過してしまった。 この原因について、プールが再開したからだとか、ChatGPTに嵌まったからだとか、言い訳をすることはいくらでも可能だけど、自分の気持ちに素直になって、たぶんこういうことだな、という真理に、さすがは2ヶ月という長い長い持ち時間があっただけあって、到達できた気がするので、今回はそのことについて書こうと思う。 なぜ僕は結婚式の日記を振り返るという行為に、こうも触手が伸びなかったのか。 最初は、結婚式があまりいい思い出ではないからだと考えていた。たしかに、振り返るといろいろと叫び出したくなるような場面も多く、あまり正面から向き合いたい思い出ではない。樹木希林の言葉に、「結婚なんてのは若いうちにしなきゃダメなの。物事の分別がついたらできないんだから」というのがあって、至言だなあと思うわけだが、だとすれば結婚式というものは、物事の分別のついていない若者が主催する、それぞれの親族(すなわち一生の付き合いとなる存在)を巻き込んだ黒歴史パーティーみたいなものだな、と思う。 しかし恥ずかしい思い出ならば、結婚式に限らず、人生のうちにいくらでもある。程度にもよるけれど、それらを振り返ることは案外できる。年数が経てばなおさらだろう。ならばもう16年も前の結婚式のことなど、客観的におもしろがればいいはずである。 ならば、なぜ僕は結婚式の日記にこうも長らく触れられなかったのか。 この理由は、先ほどワードが出たけれど、親族というのが関わってくると思う。そこに、この2ヶ月間、僕が強く億劫に感じていた要因がある。 親族が嫌いなわけではない。厄介な親族がいるわけでもないし、なるべくみんなしあわせに暮してほしいと願っている。願っているがゆえに、なのかもしれない。 どうも僕は、冠婚葬祭というものが苦手なようである。 冠婚葬祭と4つ並べても、現代では実質、婚と葬のふたつだし、さらに言えば親族での婚などというものは、16年前の自分たちのもの以降は、ファルマンの上の妹のそれきりで、葬のほうが圧倒的に多い。だから結局、婚も葬に取り込まれ、親族付き合いというものは、実質葬式付き合いと言ってよく、だとすればそんな哀しい付き合いっ...