投稿

6月, 2024の投稿を表示しています

24歳の僕はなぜ学年題を流行らせられなかったか ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 前にも書いたが、2008年は記事タイトルが学年題を詠み込んだ短歌であり、しかし2008年が始まった時点で学年題というのはまだ365個なかったため、自転車操業のような感じで、一方で供給(生成)し、一方で消費する、という状態であった。  消費はもちろん「KUCHIBASHI DIARY」で、日々のそれのタイトルのために、「pee*pee*mur*mur」というブログで、学年題歳時記と銘打ってせっせと新しい学年題を生成していた。ちょっとなにを言っているのかよく分からない。まず日記的なブログがあって、その記事を書くにあたり、タイトルに趣向を凝らした結果、そのタイトルで使うキーワードを生み出すためのブログ記事を書く必要に迫られた、という状況。やっぱりよく分からない。24歳の若者が、どうしてそんなにブログばっかりやっていたのか。他にすること、すべきことがあったのではないか。  でもそんなことをほかならぬ僕自身が言ってしまったら、いよいよ人生の意義が分からなくなってしまうので、むしろ無理やりにでも意味を与えなければならないと思う。40歳の僕が24歳の僕にしてやれることはそれくらいだし、そしてそれは無償の愛のように見えて、40歳の僕は24歳の僕を内包しているので、24歳の僕の価値を高めることは、すなわち今の僕自身の価値を高めることでもある。そもそもこの「おもひでぶぉろろぉぉん」という企画が、要するにそういうコンセプトに他ならない。  学年題歳時記は、一般的な歳時記の形式に則り、語句と、それについての数行の説明と、そしてそれを用いて作られた先人たちの名句紹介、という構成である。  例えばこうである。高校1年生の学年題、「フレー」の項。       フレー   学年題における6学年で考えたとき高校1年生は上級生グループになるが、実際には高校という枠組の中で最年少なのである。学年題という俳句形式にばかり捉われるとそのことを忘れてしまいがちだが、このことはしっかりと肝に銘じておかなければいけない。そのため「フレー」という、3年生のエースを応援するにあたり、2年生は「ガンバレー」とか「ファイトー」とか言うのに対し、1年生はなんかそんな感じの、かあいい掛け声に自然となる。 青組のリレーの選手みんなフレー       金沢一 フレーって言ってあげるねハーフタイム    田村泡の助 フレー、フレ

「ブログを書くということについて」を語ることについて ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 このところ順調に「おもひでぶぉろろぉぉん」を進めていたのだけど、それで気付いてしまった。  僕はブログで、「ブログを書くということについて」を、語りまくっている。  なにをいまさら、という話で、「おもひでぶぉろろぉぉん」という企画自体が、その行為の最高到達点のようなものなのだけど、あまりにも無意識に、自然な流れでやっていたので、日常のブログ内で、20年近くも延々と行なっていたその行ないに、自覚がなかった。  実は僕は、「取り組んでいること」を語るのではなく、「自分がそれに取り組んでいるということについて」を語る人間のことが、好きではないのだ。そういうメタ的な視点には、ひたむきじゃなさがある。そのスカした感じが苦手だ。  たとえばサウナである。温度がどうとか、水風呂がどうとか、感じたそういうことを語るのはいい。でもレビュアーの中には必ず、「それにしてもこんなマニアックなことを気にする私ってちょっと異常なサウナマニアですな」みたいなことを述べる輩がいる。ラジオリスナーにもいる。与えられたテーマに関するメッセージだけ送ればいいのに、老練ラジオリスナーとしての矜持のようなものを語り出す輩がいる。  まあなんにでもいるのだ。どんな事柄に関しても、それなりに長くやっていると、そのぶん歴史ができるので、そうなるとその瞬間の思ったことだけではなくて、つい蓄積をひけらかしたくなる。どうしたってそこには、自分はそこいらに溢れる十把一絡げのビギナーとは一線を画す存在なんですからね、そこのところくれぐれも承知しといてくださいよ、というマウント意識がある。要するに老害である。老害なので、ビギナーにとっては迷惑でしかない。長くやっているだけで、特に優れているわけではないので、誰も持ち上げない。持ち上げるとすれば、老害皇帝の座を狙う老害臣下くらいのものだろう。10年やっている人間は、自分の10年に誇りが生れ、その価値を他者に認めてもらいたいので、どうするかと言えば、20年やっている人間のことを持ち上げる。20年やっている人間が偉いということになれば、そのうち自分もそこに到達するので安泰である。ここに内輪受けの風土が醸成される。  その感じがすこぶる嫌いなので、絶対に自分は、「自分がそれに取り組んでいるということについて」は語らないでいようと思っていた。思っていたのに、冒頭でも述べたように「おも