24歳の僕はなぜ学年題を流行らせられなかったか ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 前にも書いたが、2008年は記事タイトルが学年題を詠み込んだ短歌であり、しかし2008年が始まった時点で学年題というのはまだ365個なかったため、自転車操業のような感じで、一方で供給(生成)し、一方で消費する、という状態であった。
 消費はもちろん「KUCHIBASHI DIARY」で、日々のそれのタイトルのために、「pee*pee*mur*mur」というブログで、学年題歳時記と銘打ってせっせと新しい学年題を生成していた。ちょっとなにを言っているのかよく分からない。まず日記的なブログがあって、その記事を書くにあたり、タイトルに趣向を凝らした結果、そのタイトルで使うキーワードを生み出すためのブログ記事を書く必要に迫られた、という状況。やっぱりよく分からない。24歳の若者が、どうしてそんなにブログばっかりやっていたのか。他にすること、すべきことがあったのではないか。
 でもそんなことをほかならぬ僕自身が言ってしまったら、いよいよ人生の意義が分からなくなってしまうので、むしろ無理やりにでも意味を与えなければならないと思う。40歳の僕が24歳の僕にしてやれることはそれくらいだし、そしてそれは無償の愛のように見えて、40歳の僕は24歳の僕を内包しているので、24歳の僕の価値を高めることは、すなわち今の僕自身の価値を高めることでもある。そもそもこの「おもひでぶぉろろぉぉん」という企画が、要するにそういうコンセプトに他ならない。
 学年題歳時記は、一般的な歳時記の形式に則り、語句と、それについての数行の説明と、そしてそれを用いて作られた先人たちの名句紹介、という構成である。
 例えばこうである。高校1年生の学年題、「フレー」の項。


     フレー

 学年題における6学年で考えたとき高校1年生は上級生グループになるが、実際には高校という枠組の中で最年少なのである。学年題という俳句形式にばかり捉われるとそのことを忘れてしまいがちだが、このことはしっかりと肝に銘じておかなければいけない。そのため「フレー」という、3年生のエースを応援するにあたり、2年生は「ガンバレー」とか「ファイトー」とか言うのに対し、1年生はなんかそんな感じの、かあいい掛け声に自然となる。

青組のリレーの選手みんなフレー       金沢一
フレーって言ってあげるねハーフタイム    田村泡の助
フレー、フレー、あたいたちおんなのこ    おむすび三太


 4月13日に「pee*pee*mur*mur」にこれをアップしておくと、1週間後の20日の「KUCHIBASHI DIARY」の記事タイトルで、「少女らのフレーフレーの応援に7回戦目の我がホームラン」というのが詠めるという仕組み。いったい何に対する仁義なのか分からないが、当時の僕はとても厳密にこれを守っていた。
 ちなみに1月は中1、2月は中2、3月は中3、4月は高1、というふうに、記事タイトルは月ごとに学年が代わる形式だった。そして6月の高3で上半期が終わると、7月からは中1から再スタートである。
 そのことに対しての、2008年6月30日付の「KUCHIBASHI DIARY」、ちなみに記事タイトルは「をとめごら紺色セーラー脱がずにい卒業式は明日まで続く」の、込み上がる思いの吐露がこちらである。

 6月が終わる。明日から7月。7月なのか、と思う。
 1月を中学1年生、2月を中学2年生、とやってきたため、この高校3年生の6月を終えるにあたり、明日からの7月が、本当はまた中学1年生に戻ることにしているはずなのに、上半期と下半期という明確な区別のせいもあって、この半年間ずっと僕の隣にいて、一緒の時間を過ごしたその少女(それは「心」「茜」「郁」「環」「瞳」「円」という6人の少女たちではなく、ないのだがないのではなく、その6人のそれぞれのエキスを抽出して作られたイデア的な存在としての一個の少女なのだ)が、明日からはなんか別のフィールド、次の階梯へ行ってしまうような、そんな感触がある。たとえるならば、中高一貫の学校で担任を持っていたとして、その学校はひとつの代をそのままひとつの教師グループが担当してゆくシステムになっており、そのため生徒の成長をほとんど家族同然に親身になって見守ることができるのだが、その分だけ中学1年生の4月に入学してきた少女がその6年後の3月に卒業してしまうときの喪失感は強烈で、心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになり、翌月にはまた次の6年間をともに過ごす少女たちが学園にやってきて、その子たちと過ごす6年間もまた、かけがえのないものになってゆくに違ないのだ、とは思うものの、でも今は、桜の花びらが目に入ったことを言い訳にできる今だけは、お前ら先生の気の済むまで泣かせてくれよ、みたいな、そんな感じだ。理解していただけるだろうか。難しい気がする。別にいいけど。

 難しい気がする、と本人も気付いているけれど、他人に理解してもらうのはあまりにも難しい感触だと思う。他人でない、24歳の僕を内包している40歳の僕でさえ、十全に理解できるとは言い難い。やっていることが特殊すぎる。学年題について、なんでこんなにおもしろいのに、こんなに世の中の反応がないのだろうと、当時かなり本気で悩んでいたが、歳月を置いて俯瞰したことで判った。突飛すぎたのだ。
 ちなみにこの文の中に登場している6人の少女、学年題6姉妹については、前回もそんなことを言った気がするが、別の記事でしっかりと取り上げたいと思う。また取り上げたいという意味では、歳時記の中にさらりと登場しているが、この時期の僕のブログにおける、かなりの重要人物、おむすび三太についても、改めて語ることになると思う。
 自分のブログの歴史を振り返るブログで、今後の予定の紹介までする。いったいなんだろう、この行為は。僕は誰を愉しませたいのだろう。そんなの当然、僕だ。僕しか愉しまないに決まっている。僕が、僕を愉しませるために書くことの予告に、僕がワクワクする。あまりにも僕だけの世界。もう誰も覗かないでほしい。出ていけ!