辿り着く物語 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 無職期の手書き日記を読み終え、2006年6月に開始した「俺ばかりが正論を言っている」の読み返し作業に入っている。情報カードに手書きしたものを、スキャンしてアップするという形式のこのブログが、メインブログだった時期というのが実はあったのだ。「KUCHIBASHI DIARY」がスタートするのが2007年の元日からなので、それまでの半年余りはこれがメインブログ、はてなダイアリーの「pee★pee★mur★mur」がサブブログ、という感じでやっていたらしい。歴史だなあ。
 6月の終わりごろの記述で、大学の近くの街のアパートに引っ越したのに、友達がひとりも来ないことに触れ、「友達って、本当にどうすればできるのだろう。面倒臭くない、気持ち悪くない、ウザくない友達って。」というのがある。
 このときの僕がどの程度の本気度合だったのかは定かではないが、たとえ大学の近くの街に引っ越そうが、自分から積極的に来訪を呼び掛けるというのならまだしも、ブログの記述などから察して(そもそも当時から大学時代の知人がブログを読んでいたとも思えない)、ぜひ遊びに行きたいなどと申し込んでくるはずがない。今なら明確にそれが解る。どうも僕は友達に関して、察してちゃんと言うか、あまりにも受け身の姿勢だ。友達は、きちんと相手まで届く触手を伸ばした人だけが獲得できるもので、向こうから勝手に舞い込むものではない。この真実に到達するまでに、この22歳の青年は、これからも延々と、それはもう延々と、自分にはなぜ友達ができないのかの苦悩をブログに叫び書き続けることとなる。その未来が判っている青年の、まだまだライトな、浅瀬に足首を浸すだけの戯れのような、友達がいない話が、逆に切ない。
 あとこの時期、僕は武者小路実篤に嵌まっていて、だいぶ影響を受けている様子が見てとれる。2ヶ月遅れの就職をして、そして約2ヶ月間の勤務で退社する会社に勤めながら、実篤の言葉に救いを求める。果たしてこれは健全なのかどうなのか。

 生きることと悩むことはほとんど同義語だから、それはきっとどうすることもできない。できないでいい。
 ただし悩みのタイプを考えたとき、それはいつでも上向きのものであるべきだと思う。要するにウジウジしたりとかイジけたりとかはしたくない。無駄だし救いがない。
 ぼくは負けたくないし、それに負けないのだと思う。なぜなら僕はいつだって正しいからだ。もちろんミスはするだろう。それは認めれば改めればよい。改めたぼくは正義だ。ただでさえ優しい人間のぼくは、どんどん素晴らしくなってゆく。(7月6日)

 そして7月21日に、「仕事を辞めることにしたのだった。」と唐突に宣言がなされる。
 仕事自体の記述はしていないので、本当にもう記憶を探るしかないのだが、都営大江戸線で通う六本木の街が、とにかく居心地が悪かったという印象ばかりがある。
 友達がいなく、大都会が嫌い。
 これは横浜で育ち、渋谷にばっかり行っていた若者が、やがて島根県に辿り着く物語。