オープニングでもエンドロールでもなかった50枚のTシャツについて 後編 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 前回と今回の記事タイトルにある、「オープニングでもエンドロールでもなかった」はどういう意味かと言えば、この記述にちなんでいる。

 ところでこのTシャツ作りにより、開設以来cozy rippleでやってきたいろいろなことが思い出されて、ちょっとセンチメンタルな気持ちになったりしている。ファルマンに至っては「なんかエンドロールみたいだよね。cozy ripple終わるの?」とか言ってきて、失礼な! と思った。
(KUCHIBASHI DIARY 2009年5月25日)

 この50枚のTシャツデザインは、2004年から始まった、僕のweb活動の総ざらえの様相を呈しているが、しかしそれを2009年のファルマンがエンドロールのように感じたのは、言うまでもなく2009年のファルマンにとって2009年のその瞬間が人生の果てであったからで、時は流れて2025年、それからさらに16年後の世界から眺めれば、それはもちろんエンドロールなどではぜんぜんない。エンドロールというよりは、むしろオープニングに近い。とは言え当然オープニングでもないわけで(日記に、その先々に繰り広げられる事柄を内包したようなオープニングシーンなど存在しない)、結局は連綿と積み重なる時間の中での、振り返りに過ぎない。そしてそれは2009年から16年後の、まるで神のような視点から偉そうにコメントを述べている、現在の僕のおもひでぶぉろろぉぉんもまた、そうなのだ。日記の振り返りは入れ子構造を生み出すような気がしていたけれど、振り返った日記の中で、それまでの日記を振り返っているさまを見て、それは入れ子構造を作り出すようなダイナミックな行為では決してなく、それもまた単なる日記に過ぎないのだと気づいた。
 そんなわけで、2006年の自分の日記を題材にした日記として、50枚Tシャツデザインの後半を紹介していくことにする。
 26枚目はこちら。


 ファルマンの絵である。ファルマンの絵は、このあと「製本 うわのそら」にカバーを作るという企画の際にも、さんざん(無断)使用したので、わりとどれもよく憶えている。これなんかはだいぶファルマン性の高い1枚であるなあ、と思う。左の男性は、キャスケット帽に黄色いコートということは、間違いなく僕だろうと思う。ただしこの当時、書店員の僕はキャスケットも被っていなかったし、コートも黄色くなんかなかった。そう考えると、少し恐ろしさも出てくる。さすがファルマンだ。
 27枚目はこちら。連続での紹介になってしまう。



 懐かしい。これは記事タイトルが通し番号だった「俺ばかりが正論を言っている」の、326枚目にちなんで投稿したもの。たぶん僕なりのリスペクトというか、敬意の表明なんだと思う。ここで語られるメッセージは、たしかにそうだな、本当にそうだな、と今も色褪せることなく胸に響く。この世の真実なのだと思う。
 28枚目は「tecoton.」ロゴ。「cacicon.」「tunic!」と同シリーズ。
 29枚目はヒット君のだいぶ初期のほうのイラスト。
 30枚目はこちら。



 いろは歌である。漢詩に続き、いろは歌をやっていた時期もあった。いろは歌なので、このふたつの作は、それぞれ文字の配置が違うだけで成分は一緒なんですよ、ということをアピールするために、結果としてとてもカラフルなTシャツになるという、だいぶ特殊な要因と効果によって生み出されたデザイン。手間がかかっている。ようやる。
 31枚目も連続で紹介。こちら。



 これも学年題俳句関連なのだが、少し話がややこしくて、メインのもの、裾に小さく記されたもの、どちらの句(句なのだ)も、おむすび三太の作なのである。おむすび三太! そう言えばおむすび三太については、これまでおもひでぶぉろろぉぉんできちんと語ったのだったっけ、と思って検索をかけたら、いまから1年半前、2024年6月、学年題俳句について触れた際、少しだけ触れていた。

 ちなみにこの文の中に登場している6人の少女、学年題6姉妹については、前回もそんなことを言った気がするが、別の記事でしっかりと取り上げたいと思う。また取り上げたいという意味では、歳時記の中にさらりと登場しているが、この時期の僕のブログにおける、かなりの重要人物、おむすび三太についても、改めて語ることになると思う。
 自分のブログの歴史を振り返るブログで、今後の予定の紹介までする。いったいなんだろう、この行為は。僕は誰を愉しませたいのだろう。そんなの当然、僕だ。僕しか愉しまないに決まっている。僕が、僕を愉しませるために書くことの予告に、僕がワクワクする。あまりにも僕だけの世界。もう誰も覗かないでほしい。出ていけ!

 とうとうおもひでぶぉろろぉぉんの中で、1年半前のおもひでぶぉろろぉぉんの文章を引用してしまった! これをし始めてしまったら、もういよいよゴールにたどり着く日など永遠に訪れないような気がする。
 しかしそれはそれとして、これはおむすび三太による句のTシャツだ、ということだけ、分かってもらえたらそれでいい。おむすび三太についてメインで語るのは、やはりまた後日ということにしようと思う。
 32枚目は短歌。「ボニータを夏の放課後をとめごら脱いでサーティーワン食べ行こうよ」という一首が選ばれている。いい歌ではあるが、じゃあ代表作かと言われると、他にもいいのはある、と言いたくもなる。あくまで当時のセレクトだ。
 33枚目はとても大きなバネリンのデザイン。バネリンもまたファルマンの手によるイラスト。なんだかんだでファルマンの絵も多いな。ちなみにこれは「いきもの」出身。
 34枚目はこちら。



 プロッペッパッピローニの漫談がびっしりプリントされた生地で作られたTシャツ。袖と身頃の柄合わせもばっちり。インバウンド客に大人気だとか。
 35枚目はパーリェ・ゾーカ柄。パーリェ・ゾーカとは、パーティー・ジョークの意味で、Tシャツにプリントされているのは英文だが、その内容は
「このつみれ汁、ぜんぜんおいしくないね」
「イワシの面目、丸つぶれだね」
 という、僕のオリジナルの傑作ジョークとなっている。このジョークは、「囲いができたってね」「へえ」に匹敵するくらい秀逸だと思うのだが、ぜんぜん広まらなかったな。
 36枚目も英文だが、こちらの意味は「女子高生フリーハグ」である。フリーハグという風習? 試み? 企画? なんと言えばよいのかよく判らないが、とにかくそういうのが当時あって(たぶん今もやってる人はやってるんだろうが)、なんか世界平和みたいな大義名分で異性と合法的にハグできるんなら俺だってしてえよ、と思ったのだが、しかし完全フリーハグはさすがに抵抗があるので、女子高生フリーハグと銘打ち、さらにその下に注釈で、「ただし清潔感のある身長155センチ以下、体重45キロ以下の女の子に限ります」と書いてあるという、こののち訪れるルッキズム排斥の流れの対極にあるような、実にひどいフレーズなのだった。まあ要するに、フリーハグなどということを声高に叫ぶ輩をとにかくバカにしたかったんだと思う。それが目的であり、女子高生の容姿に注文をつけるような、ルッキズム的な考えがパピロウの本心であるはずがない。
 37枚目も英文シリーズで、「みんなちがってみんないい」と言ったあと、また注釈のように下に、「ただし不細工を除く」と書いてある。あまりにひどい。本心であるはずがない。この当時の僕は、闇の組織の構成員に銃口を突き付けられ、思ってもないことを強制的に書かされていたのではないかと思う。
 38枚目は「とじれ! キンポッパ」デザイン。これは言うまでもなく「ひらけ! ポンキッキ」のパロディで、こんな有名なものを真正面から臆面もなくパロディにする感じって、まるでティーンのノートの落書きのようで、なんかノスタルジーを感じる。
 39枚目はオオクチアホキリンのデザイン。
 40枚目から43枚目までの4枚はこちら。






 武者小路実篤の詩とクチバシのイラストを組み合わせたデザイン。武者小路実篤の詩が、当時やけに好きだった。内容そのものももちろんいいのだが、冷静な頭で眺めれば、苗字が4文字の人がめっちゃくだらないことを言ってる、というのが余計におもしろさをかき立てているのだと思う。同じ詩を佐藤春夫が言ってもそこまでおもしろくないだろう。そう考えて初めて気付いたが、僕のオリジナルキャラクターに、学年題俳句に関する一般参加者の疑問に答えてくれる講師で、弥生時代釈迦子というのがいるのだが、このネーミングは武者小路実篤から来ているに違いない。パピロウ研究における大発見だ。
 あとこのデザインは缶バッジにもしたのだが、なにしろ武者小路実篤の詩を使っているので、販売はしないほうがいいだろうと思って当時は自重し、著作権が切れたらその暁には堂々と販売しよう、しかし武者小路実篤は長生きだったから死後50年が経過するのはまだまだ先だな、ということを思ったのを憶えているのだが、先ほど検索をしたところ、死去は1976年とのことで、なんと来年で50年となるのだった。当時、まだまだ先だなと思っていたのだが、もう来年というところまで来ている。そのことにものすごい時代の流れを感じた。来年、出版界に武者小路実篤ブームが到来するかもしれない。
 44枚目はチョッキ先生。チョッキ先生は4コマ漫画によく登場させていたキャラクター。いつもなにかを噛んでいて、なんなのか生徒が訊ねたら、「女子トイレのダストボックスの中身だよ」と答える、という、ものすごく気持ち悪い回があり、今となってはもう目を背けて、なかったことにしたいキャラクターだ。
 45枚目はこちら。



 当時まだ記憶に新しかったであろう、結婚式のウェルカムボードにひたすら描いた猫の絵。こんなTシャツは、にゃんこ大戦争とかが実際に販売してそうだと思う。
 46枚目は黒地に極太明朝体の白文字という、エヴァンゲリオン的な感じで、「女の子にとっての女の子のおっぱい」とか「芝生」とか「世界は実らなかった甘酸っぱさであふれてる」「女の子の一番の性感帯は頭の中にある」などのフレーズが配置されているデザイン。
 47枚目は、登場人物一覧デザインで、日記に登場人物ってなんだよ、という話なのだが、当時の「KUCHIBASHI DIARY」での説明によると、上からアルファベッドで、馨、人志、綾音、プロッぺパッピローニ、成実、理紗、チョッキ、雪子、奈々、千咲、玲、優、茜、心、嘴亭萌え狼、まひろ、瞳、楓、夏子、若葉、結衣、残念和尚、ひかる、瑠衣、環、真理、葵、円、由希、蝶子、美加、郁、エリ、まゆか、悠美、おむすび三太という並びになっているらしい。たくさんいるな。ここまでおもひでぶぉろろぉぉんをやってきたのに、どうやらぜんぜん拾い切れていないようだな。
 48枚目はこちら。



 「いきもの」大集合の柄。みんなひとつの方向に進んでいて、十二支のお話のようにどこかを目指しているような絵だが、なんのことはない、顔が左を向いている絵しか描けないだけのことだ。「いきもの」なのでヒット君やメロヘロはいない。「人間だもの」が邪魔なので、アイダウシオはいないほうがいい。代わりにバネリンでもいたほうがよほどいいと思う。
 最後から2番目、49枚目はこちら。



 cozy rippleデザイン。このときはまだホームページ「cozy ripple」が中央にあって、そこから諸所のブログでいろいろ展開する、という仕組みになっていたので、締めの感じで49枚目ににcozy rippleデザインが来るのは順当である。
 それでは50枚目はなんだったのかと言えば、こうである。



 あとがき。お前、それまでの49枚、デザインや内容などで難はあれど、いちおうTシャツのデザイン案としてやってきたのに、最後の50枚目が、その総括の文章で、Tシャツとして成立するものではないんだとしたら、全50枚なの? それとも全49枚なの? みたいな、なんか変な話になってくるだろうが、という、とてもひねくれたボケなのだった。そしてこれは同時に、このTシャツを発表した日の「KUCHIBASHI DIARY」の記事のほぼ全文でもある。

 ラスト50枚目。
 そもそもなんでこのTシャツ企画を始めたかと言えば、新しいNAYAMUKEDOKUZIKENAIロゴを作り、それをただ置いただけではつまらないと思ったから、Tシャツのデザインとしたのでした。
 それがいつしか、これはファルマンの言葉になりますが「エンドロールみたいだよね」ということになって、そしてその言葉に触発され、必要以上に、cozy rippleがこの5年間で歩んできた道を振り返ることとなりました。
 基本的に自分のことが大好きな僕ですが、こうして振り返ってみたら、いま本当に自分のことが愛しくてなりません。僕は僕にとっての最高のエンターテイナーであると再認識しました。
 エンドロールと言っていますが、もちろんcozy rippleは終わりません。これからも心地よいさざなみとして僕の人生を彩っていってほしいと思います。
 ありがとうございました。

 平成21年6月8日
 purope★papiroモデル。

 この全文にリンクが貼られていて、クリックして「俺ばかりが正論を言っている」に飛ぶと、この文面が手書きされたTシャツの画像が表示されるという寸法で、ちょっとオシャレなような、やっぱりただひたすらにひねくれているだけのような、とにかくなんとも言えないオチである。当時25歳の僕に、42歳の僕が声をかけるとすれば、まあ、なにはともあれ、おつかれさま、という、令和の年長者らしい、当たり障りのない言葉しかない。
 それにしても、ここまでで5年なのである。ここから、現時点で創始以来4倍あまりの年月が経過しているわけで、おもひでぶぉろろぉぉんの道のりはやはり長い。あんなに遠い未来だと思っていた武者小路実篤の著作権切れももう目前だ。
 ただ、先日11月恒例のcozy ripple名言・流行語大賞(ここにcozy rippleという名称が残っているのはエモい)をやっていて気付いたのだけど、去年からずっと取り組んでいるこの2009年という年は、なにを隠そうcozy ripple流行語大賞(当時は「名言」はついていなかった)が始まった年だったのである。そう考えると、ここから先は現在と地続きのような気もしてくるし、またここでいちどそれまでの歩みを振り返ったというのも、なんだか大いなる意思によるもののような気もしてきて、そら恐ろしくもなる。そしてだとすれば、やはりこの企画は、僕のweb上での活動の、幼年期のエンドロールだったのかもしれない。