オープニングでもエンドロールでもなかった50枚のTシャツについて 前編 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 ドラえもんとともに暮した2009年の5月、ひみつ道具を出してもらうことは一切なく、それどころか上旬以降はほとんど絡みもせず、じゃあ主になにをしていたかと言えば、前回の記事でも少し触れたように、なぜかTシャツのデザインを考えていた。
 無地のTシャツのテンプレートにイラストを配置したものを、「俺ばかりが正論を言っている」にひたすら投稿し続けたのだった。5月14日に始まり、月を跨いで6月8日までなので、およそ3週間ということになるが、その間の投稿数は50にもなった。ちなみにこの期間、もちろん「KUCHIBASHI DIARY」も毎日更新をしているのである。当時の僕は、どうしてそんなに時間があったのだろう。あるいは自分の日記を書くこと以外に、なんの娯楽もなかったのだろうか。そう言えばこの当時は、筋トレなんかぜんぜんしなかったし、裁縫もヒット君人形を作る程度しかしていないわけで、そういう意味ではだいぶストイックだったと言えるかもしれない。普通は逆のような気もする。若い頃はいろいろ手を伸ばし、それが年を経るにつれてだんだん削ぎ落されていくものではないのか。別にそうとも限らないか。
 50のTシャツデザインは、すべてを紹介するのはさすがに面倒なので、ピックアップして触れていこうと思う。
 1枚目はこんなのだった。



 「なやむけどくじけない」ロゴ。そう言えばこんなロゴマークが当時あった。円が基調になっているのは、このとき缶バッジをよく作っていたから、という事情がある。このデザインのいろんなカラーリングで缶バッジを作り、ニヒル牛で販売したが、1個も売れなかったんだったと記憶している。
 2枚目はヒット君のイラストと、「HITTO!」という文字。
 3枚目はカラフルなヒット君が4体並ぶイラスト。
 4枚目はスラっと立つクチバシと、その横に「nayamukedokuzikenai...」の筆記体。
 5枚目は1枚目と同じ「なやむけどくじけない」ロゴを、胸ポケットの位置に小さく配置したもの。
 6枚目は色とりどりの「P」の文字が黒地に浮かぶデザイン。
 7枚目は前身ごろいっぱいの巨大なヒット君イラスト(ニョキッver.)。
 8枚目はこちら。



 ファルマンコラボである。左上の「ぼく、ぶらんこ」というフレーズはどういう意味なのか、しばらく思い出せなかったのだけど、そう言えばファルマンはホームページ「人間ごっこ」において、さまざまな無生物を主人公にして、それの気持ちをポエムのように綴る、みたいなことをしていた。「人間ごっこ」というホームページタイトルが先なのか、はじめにその企画があったから「人間ごっこ」にしたのか、それは判らない。
 ちなみにファルマンに関し、今年に入って僕は、この人はもしかして人類以外の生きものなのではないかと疑いを抱くことが多々あり、そう言えばこの人がかつてやっていたホームページは「人間ごっこ」だったな、あのとき既に自白していたということかもしれないな、などと思ったりもしたのだが、真相はすべて霧の中である。
 9枚目は「MOTTAINAIDESUYONEARUIMI[S]」ロゴ。ワンガリ・マータイの「MOTTAINAI」について、スローガンとしてはいいかもしれないが、人が社会の中で誰かにそれを呼びかける際はもう少しやんわりと、言い切らない感じになるはずだ、そうでなければ使えない、という発想のもと、僕が提唱したフレーズ。ちなみに[S]はsmileの頭文字だ。
 10枚目は青年のイラスト。人志かと思いきや前髪がギザギザなので違う。かと言って自画像でもない。謎の青年である。怖い。
 11枚目はファルマンの描いたノロマンのイラストに、吹き出しがついていて、そこには僕の手書き文字で「無自覚な欺瞞からの逃避」とある、そういうデザイン。
 12枚目は「I ★ PP」という、「I ♥ NY」のパクリデザインに、さらにはその下に「24hours」というフレーズを置いた、黄色いTシャツ。
 13枚目はリュウサンのかっこいいイラスト。
 14枚目は「cacicon.」ロゴ。「かしこん」の綴りはそうなのか。
 15枚目は「tunic!」ロゴ。チュニック!というギャグは流行らなかったな。
 16枚目は「zan-nen osho-no arigatai kyomon」デザイン。
 17枚目は「KUCHIBASHI DIARY」の製本版の表紙デザイン。
 18枚目はこちら。



 ヒット君4コマ第3弾から、「強い自分を守てゆこ」イラスト。昔は今より趣味がストイックだったと冒頭で言ったが、そう言えば当時はまだ絵をよく描いていたな、ということをこれを見て思い出した。パピロウの描くイラスト、あたし好きだったんだけどな。誰だよ。
 19枚目は漢詩。「義妹夜陰遨 剥開皮膜牢 薫芳懐湿潤 甘脆夏葡萄」という自作の五言絶句をデザインしたもの。そうだ、漢詩なんかもやってたな。独学ながら、いちおう平仄も合わせて、それなりにきちんとやってたんだよな。なにしろ卒論は漢詩だったしな。
 20枚目は俳句。「十四のをとめ腹ぺこつくしんぼ」を採用している。たしかに僕の代表句と言えばこれということになるだろうか。あるいは「いつの日も僕のそばにはお茶がある」かもしれない。
 21枚目はヒット君のイラスト。これはシールをやけに製作していた頃に作ったデザイン。いろいろやってんな!
 22枚目はふたたびヒット君3コマ第3弾から、ラストのライブシーンのイラスト。このときヒット君たちが唄った「安心させろ」の歌詞もデザインされている。当時の「KUCHBASHI DIARY」ではこれについて、「けいおんブームに乗ってゆきたい」と書いてある。そうか、「けいおん!」ブームか。
 23枚目は「月刊少年 余裕」のロゴ。
 24枚目は「俺ばかりが正論を言っている」の製本版の表紙デザイン。
 折り返し地点の25枚目はこちら。



 ファルマンが描いたメロヘロのイラスト。メロヘロは、クチバシやノロマンを生んだ「いきもの」企画出身ではなくて、ある日突然、ファルマンが「うわのそら」に投稿したのだったと記憶している。たぶんそのとき、なんかメンタルヘルス的に不調があったんだろうと推察される。そんなわけで出自は違うが、他のキャラクターとともにオリジナル絵本にも登場したし、なによりのちにぬいぐるみとして立体化もされた。なかなか幸福なキャラクターなのである。
 というわけで、ここまでで半分が終了した。長くなるので、この話も前後半で分けざるを得ない。いったいなんなんだ、2009年5月の俺は。本当に働いていたのか。化かされていたのは俺たちだったんじゃないのか。