ドラえもんと暮したあの月のこと 前編 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 面倒くさい。
 そんな言葉から話を始めるのはいかがなものか、という話なのだが、なにぶん本当にとても面倒くさい案件なのである。
 まずなにから話せばいいのだろう。
 えーとですね、2009年の5月、僕とファルマンの住まいに、ドラえもんがやって来たんですよ。
 はい。ドラえもん。あのみんなご存知、未来の世界の猫型ロボット、ドラえもんである。
 5月1日のKUCHBASHI DIARYの冒頭部分を引用する。

 信じられないことが起こった。
 我が家にドラえもんがやってきたのである。
 いきなり何を言い出したんだ、と思うことだろう。でも本当なのだ。
 晩ごはんを食べて、お風呂に入ろうと思い、ベッドの下の引き出しからパジャマを取り出そうと屈んだ瞬間、引き出しが勝手に開いて、そこから出てきたのだ。
 特に音とかはなくて、扉の向こう側にたまたま立ってた、ぐらいの感じの初対面だった。
 下半身を引き出しの中に残したまま発せられた第一声はこうである。
「うふふふふふふ……」
 一体なんの笑いなのかぜんぜん解らなかったけど、とりあえずはなにか可笑しいのらしかった。笑ったことで瞳が線のようになり、緊張が解けた僕も力なく笑った。ドラえもんの瞳はダチョウの卵ほどに巨大で、かなり威圧感があった。苦手かもしれない、と思った。
 そうしてドラえもんと僕は、しばらく微笑み合っていた。
 しばらくして、異常に気付いたらしいファルマンが「どうしたの?」と言いながら寝室に入ってきた。
 彼女はドラえもんを目にした瞬間、「うぁっ」という色気のない短い叫び声をあげ、尻餅をついた。
「ド、ド、ド、……ドラえもん!?」
 ファルマンの問いかけに僕はこくりと頷き、ドラえもんは目尻を下げた。
「うふふふふふふ……」
 リビングに場所を移し、僕ら3人は落ち着いて話し合った。

 なにせもう16年以上も前のことなので、そのときのことはほとんど覚えていない。この企画で日記を読み返して、そう言えばそんなこともあったっけ、と思い出した次第である。ドラえもんは基本的に漫画およびアニメのキャラクターだと思っていたが、こうして日記に綴られているということは、まぎれもない事実なわけで(日記に嘘なんて絶対に書かないのだからして)、であれば実際に存在するのだと言うほかない。
 たしかに、この頃から16年経ち、物理的にも情報処理能力的にも、ロボット分野の発展は目覚ましいので、未来からタイムマシンを使ってドラえもんがやってくる可能性は、どの時代の人間にも平等に与えられているのだと言える。そしてそれがたまたま2009年の5月、僕とファルマンの部屋だったというわけだ。
 同じく5月1日の日記から。

 ドラえもんは僕の出した紅茶を少し飲んで、カップの半分ぐらいまで減らすと、ポケットからスキットルを取り出し、紅茶と同じ色の液体をその中に注ぎ入れた。
 リビングにアルコールの香りが漂う。
「だいじょうぶ、別に君らの未来をどうこうしようと思って来てるんじゃないから。ただね、理由も聞かずにこれからひと月、僕をこの家に置いてほしいんだよ。だいじょうぶ、悪いようにはしないから。ほら、もちろん場合によってはこっちのものとかを出すのも吝かじゃないし、決して悪い条件じゃないと思うよ」
 そう言ってドラえもんは腹のポケットを指差してみせた。
 ファルマンと僕は目を見合わせた。たしかに悪い条件ではないように思えた。やはりドラえもんの目的が見えないのは気色悪いが、それさえ除けば滅多にあることではない。「僕らはふたりとも毎日ブログを書いているのだが、ドラえもんのことも日記に書いてもいいのか」と訊ねると、彼は「どうぞどうぞ、大歓迎。むしろお願いします」と答えた。

 ちなみにこのときわが家に現れたドラえもんは、2155年からやってきたのだそうで、年齢的には43歳ということになり、野比のび太の世話をしていた頃、それは自身が16歳の頃だったとドラえもんは話したそうだが、あの当時のイメージとはだいぶかけ離れていたようである。「卑怯な大人の、濁った表情」と、25歳の僕は描写している。これを読んでいる僕自身がいま42歳であることを踏まえれば、なかなか残酷な表現であると思う。
 そして、この日からめくるめくひみつ道具ライフの1ヶ月間が始まるのかと思いきや、実はそんなことはない。2016年の暦を確認することまではしないが、世間では翌2日からGWに突入し5連休とかだったそうなのだが、それは当時書店に勤めていた僕にとってはフラストレーションが溜まるばかりの日々であり、せっかくなのだからドラえもんに道具を出してもらおうかという考えは脳裏をよぎったようなのだが、どくさいスイッチを使っていたら遅刻してしまうし、どこでもドアを出してもらったらどうしても目的地を職場にすることができなくて無断欠勤になってしまうと考え、あきらめていた。

 手の届く所に便利な道具があっても、それを使ってしまった時の自分の堕落を想像してしまうと、なかなか手が出せない。いまさらになってのび太の人間としてのスケールの大きさを痛感する。

 25歳にしてこの達観はなかなかすごい。まだ子どももいないのだから、どこでもドアで自由気ままに全寮制女子校の大浴場にでも行けばいいじゃん、と今の僕なら思う。
 3日目は、その翌日からつましい2日間の休みだとのことで、夕食後にファルマン(当然こちらは5連休だったのだろう)と買い物に出ている。ドラえもんは留守番だ。

 ドラえもんは「いい」と言って付いてこなかった。まあ付いてこられても困る。『ドラえもん』の世界では割とみんな平常心でドラえもんのことを受け入れていたけど、現実にこの異形(このパソコンのすぐ脇で寝転がって村上春樹を読んでいる青い巨大な生きもの)を目にしたら、街はパニックになるに違いない。

 今から16年前、2009年の感覚からすると、たしかにそうかもしれないな、と思う。今ならたぶん大丈夫。多様性の時代だから。そういうこともあるかもね、それもいいね、という感じで、さらりとみんな受け流すと思う。16年前に較べて、人類はとても洗練された。もちろん誰も勝手に他者の写真を撮ったり、ましてやネットにアップしたりなんかしない。ドラえもんは来る時代が早すぎたのかもしれない。

 スーパーからの帰り道、荷物が割と重く、しかも普段あまり穿いていないサンダルで来たら、ちょっと足が痛くなりそうな感じがあり、歩いて帰るのかったるいなー、と思ったのだが、ドラえもんは家にいるのでどうしようもなく、がんばって歩いて帰った。
 考えてみたら、行きはいつだって元気なのだ。元気じゃなければ行かないのだから。つらくて便利道具に頼りたくなるのは、往々にして帰りなのだ。しかし帰りがつらくても、ドラえもんが常に家にいる以上、道具を出してもらうことはできない。それでがんばって自力で家に帰ったら、もう満ち足りてしまうので別に道具を出してもらう必要はなくなる。こう考えると、やはりのび太のことが思い出された。のび太はジャイアンにいじめられて帰った際、ドラえもんに仕返しの道具を求めるけど、あれはすごいバイタリティーだなと思った。僕だったら、家に帰ればもう安心なので、わざわざめんどくさいことをしに、また外出したりしないだろうと思う。
 結局3日目にしていまだドラえもんの便利道具をひとつも活用していない。明日からの2日間ではいろいろ挑戦してみたいが、そもそも外出をあまりしたくなく、便利道具は割と外出を要するものが多いような気がするので、やはり難しいかもしれない。まず「外出が嫌じゃなくなる機」があればいいかもしれないと思ったが、そんなものを使ったら自分が自分でなくなる気がするので、怖くて使えないと思った。

 ここまで、自分の日記のことながら、本当にドラえもんが来たのか? 巧妙に日記に見せかけた創作なんじゃないのか? と疑う部分が実はあったのだけど、この部分を読んでやっぱり本当だったんだ、と思った。これは実際にドラえもんが身近に来ていない限り、たどり着けない境地だと思う。感情を操作する道具を使ってしまったら、自分が自分でなくなる。たしかにそうだ。肢体でも臓器でも、やろうと思えばなんだって移植できるけれど、脳だけはできない、なぜなら脳を移植した時点で、その人はその人じゃなくなるから、みたいな、これはそんな哲学的な問いかけを孕んでいる。
 ちなみに当時の僕はドラえもんの出す道具に関し、一貫して「便利道具」という言葉を使っていて、少し違和感がある。「ひみつ道具」だろ、と。でももしかするとこれも2025年の感覚なのかもしれず、最近はそっちで統一されているが、2009年当時は「便利道具」呼びもあったのかもしれない。実際、言われてみれば「ひみつ道具」ってなんだよ、その存在自体も特に秘匿する様子がないドラえもんが、未来のデパートで購って仕入れてくるグッズの、いったいどこに秘密の要素があるんだよ、と思う。そう思えば「便利道具」のほうが正しい気もしてきて、ある瞬間に大いなる力で「ひみつ道具」という呼び方に矯正される前までは、むしろ「便利道具」のほうが優勢だったのかもしれない。しかし当時の言葉の空気感のようなものは、今となってはもう検証のしようがない。
 かくしてドラえもんが来ていた1ヶ月間の、3日までの振り返りが終わった。3日分しか終わらなかった! 一気に語ろうとするとあまりにも長くなるので、この話題は記事を分けることにする。でも安心してほしい。最初の3日間こそ、ドラえもんとの絡みは濃厚であったが、これがずっと続くわけではない。話はたぶん前後編で終わる。なので、後半に続く。