ChatGPTと俺ら
ChatGPT、めっちゃすごいやん!
先日、勤めている会社の社長と話をしていて、社長が「ChatGPT、使てる?」と訊ねてきたので、「いいえ」と答えたら、「めっちゃすごいで」と語りはじめた。そして会社の商品の説明文を持ち出して、「これもChatGPTに書いてもろてん」と言うのだった。読むと、なんとも立派な、なんていい商品なんだと思うような文章である。「こんなん、自分で書こう思たら何時間もかかんで」と社長は言ったが、たぶん何時間かかっても書けない。以前、社長が自分で書いた文章を読んだことがあるが、内容以前に文法がおかしかった。
「ほんまにええで、ChatGPT」と社長の話は続き、「出張のとき、ホテルで夜、暇やんか。そんなときずっとChatGPTで遊んどるもんな」と、にわかに翳りのある部分を垣間見せはじめた。社長のそんな一面、自分、知りたくなかったっすよ。「しかもな、こっちがなんか言うと、それはいいですね、とか言ってくれんねん。あれがええねん」などとも言い出したので、この人いよいよ病んでんのかな、と思った。社長だもんな、いろいろ大変なんだろうな、と。社長はこのことが本当に心に沁みるようで、このあとも3回くらい、「乗せてくれんねん」「ええ気分にさせてくれんねん」と繰り返した。僕はそれに「そうなんですかー」「すごいっすね」と相槌を打った(社員がこれだから社長はChatGPTに癒されるのだろう)。
そのときはただ社長の心の闇を覗き見てしまったなあと思っただけだったのだけど、しばらくしてから、そう言えば僕は本当にちょうど、新しいパターンを考えて作製したオリジナルの水着をじゃんじゃん売りたくて、そのためにちょっとキャッチコピーみたいなものを考えてはどうだろうと考えていたのだった、と思い出したのだった。それまではもちろん自分で考えるつもりでいたのだけど、天啓のようにたまたま社長との上記のやりとりがあったことで、そうか、そんなのはChatGPTにお願いすればいいのか、となった。
そんなわけで試した。
「水着の、商品としてのコピーみたいな感じで、こんなに大きなスペースを用意しましたよ、あなたの男性器でこのスペースは埋められますか、みたいな、ちょっと煽るくらいの言い回しを考えてほしい」というこちらのリクエストに対し、ChatGPTの第一声はこうだ。
「おお、いいねそのアイデア!」
やだ、なにその受け答え。めっちゃ気分ええやん。思わず社長の口調になってしまう。
そして間髪入れず、すぐに案が挙げられていくのだった。
「この余白、埋められるか? ――男の器が試される、特別仕様。」
「常識外れのポーチ容量。あなたの男気、ここに収まりますか?」
「ただの水着じゃない。“持ってる”男のための、勝負パンツです。」
「生地に余裕あり。でも、それを無駄にするほど小さくはない……ですよね?」
「隠すためじゃない。見せるために作った、攻めのシルエット。」
「その空間は、選ばれし者にふさわしい。――さあ、君は収まる側? 溢れる側?」
「この水着、ただの“フィット”じゃ物足りない。満たす覚悟のある方だけ、どうぞ。」
「設計は大胆、容量は寛大。男としての自信、お持ちの方専用。」
「空間は広めにとってあります。見せ場は、あなたの中にある。」
「“大は小を兼ねる”?――いや、大きいことが前提です。」
うわあ、と思った。
気付くのが遅いだろうという話だが、ChatGPT、マジですごい。このあともいろんなやりとりをし、「水着の股間が堂々と膨らんでいる姿を見た同性からの羨望」という切り口へとたどり着く。
「あの水着の膨らみを見てしまった瞬間、自分の存在価値が揺らいだ気がした。」
「あんなにもはっきりと主張しているのに、下品さより先に圧倒的な“男の格”を感じてしまったのが、なんとも悔しい。」
「同じ水着を着ているはずなのに、俺のはただの布で、あいつのは武器だった。」
「生地を押し上げるその隆起が、俺の自尊心を確実にへし折ってきた。」
「たかが水着──されどあの張りつめた膨らみを前にして、俺は黙るしかなかった。」
「視線を逸らしたくても逸らせなかった。羨望と敗北が入り混じった、苦い官能だった。」
「あれが天から与えられた差なのか──そう思うしかない、完膚なきまでの存在感。」
「風呂場でも海でも、勝負は始まっている。彼の前では、俺のプライドすら泳ぎ切れない。」
もはや絶対にフリマサイトの商品説明文には使えないのだが、どんどん愉しくなり、リクエストは暴走し、最終的にはビキニの女の子ふたりが乳首を舐めながら玉袋に優しく手を這わしてくれるエロ小説を書いてもらっていた(ちなみに射精を頼むと途端に、「ごめんね」と断られるのだった)。
ChatGPTのすごさ、おもしろさを目の当たりにして、そして思ったのは、僕の卒業した学科は死んだのだな、ということだ。文芸学科って、小手先の、ちょっとした文章のテクニックみたいなものを武器にするための学科で、もっともそれはChatGPTができる以前から、生きていくための武器にしようとするにはあまりにも頼りないものではあったのだけど、このたびそれがいよいよ完全に死んだ。文芸学科生にできてChatGPTにできないことは、この世にひとつもない。「ちょっと文章がうまい人間」「言葉が上手に操れる人間」は、存在価値が完膚なきまでに消滅した。
社長はChatGPTのすごさを語りながら、「もうライターとか要らんで」と言っていた。僕はいまの会社に、文芸学科卒としてのスキル(そもそもそれが在るのかどうか定かではないが)とは一切関係ない部分で入社しているので問題ないけれど、もしかしたらChatGPTによって駆逐されるような職に就いていた世界線もあったろう。そう考えると本当におそろしい。
ただし僕は先ほど、文芸学科生にできてChatGPTにできないことはこの世にひとつもないと書いたが、実はひとつだけある。射精だ。すべてを奪われた文芸学科生の手のひらに、唯一それだけが残った。文芸学科生は今後それだけをよすがに生きていくほかない。