かつて幻のおもひでぶぉろろぉぉんがあった! ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 
 おもひでぶぉろろぉぉんが、ようやく2009年へと突入した。この年の3月に結婚式を行なうので、少しその準備などでざわついている感じがある。この時期の日記を読んで、16年越しに、25歳当時の僕と、たぶんまったく同じ気持ちを抱いている。
 早く終わって、平穏な暮しになってほしい。
 ところで2008年の暮れあたりから、ブログ運営に関して特筆すべき流れがあった。
 まず発端は11月28日である。ヒット君4コマの第3シーズン(最後にバンドデビューする回だ)を描き終えた僕は、その投稿先について考えはじめる。

 それでそのうちそれは「月刊少年 余裕」用ではないのでネットにアップしようと思うのだけど、それはいつもどおり「俺ばかりが正論を言っている」にやるべきか、と考えると、もうそうしなくてもいいんじゃないか、という思いが湧いてきた僕なのだった。これまで徹底してやってこなかったことだけど、「KUCHIBASHI DIARY」に画像をアップしちゃってもいんじゃね、そのほうが書き手も読み手も面倒じゃなくね、と思うのだ。ここ数日のポエムを足掛かりにして、なんかもうそんな厳密に日記ってことをがんばんなくてもいいだろうがよ、という心持ちになった。すごい心境の変化だ。
 だってブログ、そんなにたくさんあってもしょうがないと思うし――。
 なので今後ブログはどんどん収束してゆくかもしれない。
 「PUROPE★PAPIRO★CANTABILE」から始まり、20個ぐらいに膨張したブログは、やがて「KUCHIBASHI DIARY」ひとつに収縮するのかもしれない。ブログっていうのは、俺に言わせれば宇宙と同一なわけ。拡張と収束を繰り返すんだよ。うん。

 いまこの言葉は、「ブログは収束と拡散を繰り返す」で定着しているけれど、その先祖のようなフレーズがここで爆誕していたのだった。草創期だったのだな、と思う。
 次の記述は12月8日。

 ブログを収束させてゆくかもしれないということを少し前に書いたのだが、数日前から実際にその作業をやっている。新しく場所をひとつ借りて、そこにあらゆる記事を集結させている。
 とは言いつつもまだぜんぜんブログをまたぐところまでは達しておらず、作業ははじめのほうからやっているのだが、まだ初期も初期、「purope★papiro★cantabile」の本当に最初の数ヶ月分をやっただけだったりする。
 なにしろ念願のタグ機能のあるブログサービスにしたため、それがあまりにも愉しく、ひとつの記事にいくつもペタペタと張り付けまくっているのだ。タグの種類はもう100を超えた。つまり基本的に記事はぜんぶ読み返すことになる。そのためどうしたって時間が掛かる。1日に多くて30記事ぐらいしかできない。平日では20記事もきついだろう。
 当初の目標は新年から気持ちも新たに新体制ブログという感じだったのだが、今ではそれはきっぱり諦め、来年2月6日の「cozy ripple」5周年の際にスタートできたらいいなと思っている。
 だけど10を超えるブログの記事が総合でいくつあるのか分からないけど、このペースじゃそれもきつそうだったりする。仮に1日30記事できたとして、2月6日まで約60日。1800記事……というのは果たしてどうなんだろうな。ファルマンの「うわのそら」の記事数が1600台らしくって、僕のは多分それ以上なので、だとすればやっぱりきついと思う。
 まあできなかったらできなかったで。誰も困らんし。
 それよりもこの作業、じっくり腰を据えてどっぷり気持ちを注いでやってもいいかもしれない。作業中、思ひ出ぽろぽろ的な愉しさがある。私は今回の旅に、大学2年生の頃の私を連れてきてしまった。20歳の頃の、大学2年生の僕は、それなりにとんがっていて、割と大学生していることだなと思った。これに較べると今は丸くなったというか、本当に周りのことを気にしなくなっている。しみじみとそう思った。

 当時のこの行為のことを、僕は完全に忘れていたので、今回この記事を読み返したとき、とてもびっくりした。そしてそのあと、猛烈な恥ずかしさもやってきた。だって、「思ひ出ぽろぽろ的な愉しさ」って言ってるじゃないか! やってることと、それに対する思いというか、ネーミングというか、発想法が、ぜんぜん変わってない! 愛しい!
 ただしこのときの計画というのは、それまでの5年あまりで投稿した記事を、ひとつの場所に集約し、タグも整備して、そしてそれを現行のブログに追いつかせ、「いま」の自分がそちらの決定版ブログに乗り換える、というものだったようで、その点はこの「おもひでぶぉろろぉぉん」とは異なる。おもひでぶぉろろぉぉんは、「おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト ~フレーズで振り返る20年の歩み~」はあるけれど、それはピックアップした記事(あるいはその一部)のみの投稿であり、20年あまりのブログ活動のすべてを網羅しようなどという気はさらさらない。
 ところでここで気になってくるのが、「「purope★papiro★cantabile」の本当に最初の数ヶ月分をやっただけ」という記述で、今回のおもひでぶぉろろぉぉんにおいてどうしてもたどり着けなかった、本当に最初の最初のほうの投稿に、なにしろそれからまだ5年しか経っていない2009年当時の僕はたやすくアクセスできたようで、41歳の僕が渇望する、その希少性の高い記事が、このとき取り組んでいた謎の集約ブログには存在するらしいということが判明し、にわかに気持ちが色めきたった。
 なんなんだ、なんなんだそのブログ。本当にまったく記憶にない。思い描いていた計画が実現しなかったことは確かだが、それでも途中までやったものが今も存在しているならば、僕は25歳の僕の仲介で、20歳の頃の僕と出会えることになる。なんてドラマチックなんだ。早く教えてくれ。続報はどこだ。リンクはどこだ。俄然おもひでぶぉろろぉぉんの意欲は高まった。
 次の記述はこの2日後。12月10日。

 相変わらず過去の日記をまとめている。思ひ出ぽろぽろっている。
 2004年の、20歳の自分の日記が、依然としてかなり尖っている。社会批判とかしている。恥ずかしい。てっきり僕ははじめっから、女の子とちんこの話ばっかりしているんだと思っていた。全然そんなことなかった。ちょっぴりショックだ。
 今日やっていた分で特にすごかったのは5月25日の記事。
 一部を引用すると以下のような感じだ。

 「……というより、むしろ明確な悩み事がないことが、このテンションの低下の原因なのではないかとさえ思う。悩み事などの、ある一点への意識の集合があれば、それ以外のことに関しては目が曇るから、それはそれで成り立つ気がする。人間がいつまでも進歩を止めず、どんどん阿呆みたいに高みを目指すのは、つまりそういうことなのかもしれないと思う。
 人の営みって自転車操業的なところがあって、常にただペダルを踏むことだけに没頭することによって救われている。自転車から降りて周りの景色を見回してみると、これまではただ過ぎ去るだけだったいろいろが見えてきて、そういうことを考えるにつけ落ち込むのだと思う。よって僕は落ち込んでいる。
 これを改善するには、ふたたび自転車に乗り込むしかない。きっと僕はそのうち乗るのだろうと思う。しかし今は乗りたくないと思う。乗ることは欺瞞だと思う。大抵の人がそれに乗って、当てもなくどこかへ行こうとするなら、それに乗らずにいるのもいいのではないかと思う。
 無自覚な欺瞞からの逃避。」

 すごいと思う。最後の、「無自覚な欺瞞からの逃避」というフレーズと来たら。今の僕には口が裂けても言えない。声に出して言ってみると、絶対に噴き出す。「無自覚な欺瞞からの逃避」

 15年前の引用文の中で、その5年前の文章を引用しているのだ。すごい入れ子構造。
 ちなみに「無自覚な欺瞞からの逃避」というフレーズは、若かった頃の僕の尖りの象徴フレーズとして、いまもたまにファルマンからイジられる。いいなあ、20歳の頃の日記。やっぱり価値が高い気がする。ますます収集したい欲求が高まってきた。
 ちなみにこの記事はこのあと、23歳の頃の文章も引用し、それは女の子のショーツなどについて書かれたもので、25歳の僕はそのふたつを指してこう言う。

 どちらがいい、と言うのは一概に言えない。結局いつの自分も好きなのだ。自分の日記を読み返すこの作業をしていると、20歳の頃の自分のことを、25歳の今の僕と、21歳、22歳、23歳、24歳の、各歳の僕が一堂に会して眺めているような心地になり、自分大集合の安心感と言うか、朗らかな春の日と言うか、これはもはや旅に20歳の自分を連れてきてしまったどころか、自分だらけのパラレル同窓会であると思う。つまりこの作業は、大好きなメンバーだけで開催する、連日のダンスパーティーなんだ! ひゃっほう愉しい千夜一夜! 21世紀のデカメロン!

 なんだこのテンション! 25歳の僕、いったいどうしたんだ。2時間おきに起された8時間後のドラえもんなのだろうか。まあ言いたいことはわかるけども。「自分大集合の安心感」というのは、たしかにそうだな、と思う。実直ないい言葉だ。ライナスの毛布のように、僕はいつも僕を携えていたい。でもこのときはまだ、6人しかない。今はもっといる。未来にはもっといる。生きるってそういうことなんだな、などと感動に似た気持ちを抱く。
 でもそれはそれとして、ぜんぜんリンクを貼ってくれない。
 次の記述は3日後。12月13日。

 統合ブログの編集を相変わらずやっているのだが、前に言った1日30記事なんて、とてもじゃないができないでいる。粘度が高くて多い日であっても30なんていかない。平日に至ってはひとつも進まないこともしばしばだ。だってそれをやっていると、他のことができないんだもの。それに加え、ちょっとだけ飽きてきたのも、この進度の遅さの一因と言えるだろう。
 そんなわけで、そもそもはじめからかなり無理だったが、cozy ripple5周年記念で公開、というのは諦めた。気長に、ライフワーク的な感じでやってゆこうと思う。

 さっき、「やってることと、それに対する思いというか、ネーミングというか、発想法が、ぜんぜん変わってない!」と書いたけれど、それにもうひとつ追加。スタンスも一緒。おもひでぶぉろろぉぉんも、2024年の20周年に向けて2023年にはじめた企画だったが、ちょっとやって、(飽きも来て)ぜんぜんできっこないことに気付き、いまこうして2025年を迎え、読んでいるのは5周年企画を企図し、そして挫けている25歳の僕だ。もはや怖い。もしかして、過去の僕と、未来の僕は、合わせ鏡で、無限に連なり、かつ閉じ込められているのではないか。
 その証拠に、こんな記述もある。12月22日。

 タグ付け作業が停滞している。purope★papiro★cantabileが2004年の2月(24)から始まり、3月(31)、4月(31)、5月(33)、6月(30)と進んで、次の7月の記事数が(59)と表示された瞬間に、テンションがすとんと落ちてしまった。
 59て……、と膝から崩れ落ちた(心象風景)。
 それでもこの時期はまだ平和なのだ。これから1年後には「pee★pee★mur★mur」を皮切りに雨後の筍のようにブログが増えてゆき、そのそれぞれでせっせと記事が邁進されることとなる。
 想像しただけでうんざりだ。当時のせっせさと、現在のノンせっせさが、きれいに比例している。生徒会のテンションが上がれば上がるほど一般生徒のテンションは下がるみたいな、そんな感じだ。
 それでもコツコツやろうと思いはするのだが、現在進行形でKUCHIBASHI DIARYで毎日記事を書くことを考えれば、タグ付け作業を1日2記事分やったとしても、追いつく量は2-1で1であり、総合の記事数が2000弱だとするならば、完全に追いつくのは5年後ぐらいということになる。これはつらい。これはテンション下がる。そんでもってテンションが下がってタグ付けの作業が停滞すると、KUCHIBASHI DIARYの記事数ばかりが伸びてゆき、またどんどんゴールが遠くなるのだからどうしようもない。サクラダファミリアが完成しない理由がよく分かる。作りながら老朽化し、壊れ、補修作業に手が掛かるから、そんなこんなで結局いつまでも完成しないのだ。解る。解るよスペインの大工。だったらいっそcozy rippleも世界遺産に登録されればいいのにと思う。

 こんなの丸ごとそのまま、41歳の僕がいま「おもひでぶぉろろぉぉん」に関して書いてもなんの違和感もない。スペインの大工などという遠くの他人に思いを馳せる必要などない。25歳の僕は、他ならぬ41歳の僕に共感すればよかったのだ。未来共感という特殊能力。
 そしてここから先、年末年始に島根に帰省したこともあり、しばらくこの作業についての記述はない。次は年が明けて2009年。1月22日である。

 このところすっかりサボっていたブログひとつにまとめ作業を再開する。どれくらいサボっていたかと言えば、ひと月更新がないブログには最新記事のところに広告が表示されてしまうのだが、それが出てくるくらいだった。この作業、いちばんはじめは2008年内に終わらせようとしていたのだよな。ウケる。それを諦めた次の目標が、2月6日の5周年の日だったのもマジウケる。「富士山100秒で登るぜ!」って言う小学生みたい。
 現実はそんなに甘くないのだ。

 急なやさぐれ。この1ヶ月の間に、25歳の僕の身にいったいなにがあったのか。リンクを求めて意欲的に読み進めていた41歳の僕は、25歳の僕の瞳から、輝きがすっかり失われてしまったのを見て取った。ハラハラしながら、さらに記事を読み進める。
 すると……。

 ひと月ぶりに重い腰を上げ、広告が表示されてしまっている新ブログを眺め溜め息をついた僕は、おもむろに管理ページへと画面を進め、次の瞬間には、去年末にひとつひとつやり、ようやく150を超えたところだったそれらの記事を、ぜんぶ削除したのだった。
 現実っていうのは、そのくらいに甘くないのだ。

 えっ、えっ、えーーーー!
 消したー!
 25歳の俺、やってたやつ、消したー!
 なんでなんで? 錯乱したの? 頭がおかしくなったの?

 でも決して錯乱していたわけではない。この行為にはもちろん理由がある。
 そもそもなんで僕がそのブログをひと月も放置したのかと言えば、すべての記事をタグで完璧に管理しようというコンセプトの集大成ブログなのに、行き当たりばったりでやっているうちにどんどんタグが増えてゆき、ただ増えてゆく分にはいいのだが、「このタグとこのタグはほとんどおんなじ意味じゃねえ?」とか、あるいは「この記事にこのタグ貼るんならあの記事にも貼っとくべきじゃねえ?」とか、それ以外にも「このキーワード、タグにするまでもないと思ってたらそのあと意外に何度も語ってるから、やっぱりタグにしといたほうがよかったんじゃねえ?」というような、そういう許せないほころびが続出し、それがすごく嫌だったからなのである。
 だからもう去年のその150はいい勉強だったということでいちど仕切り直し、今度ははじめに、思いつく限りのパピローキーワードを打ち出し表にしたので、それにしたがってやっていこうと思った。きっとこのやり方が正解。この作業は行き当たりばったりじゃなくて、はじめにひと通りの記事をバーッと読み、キーワードを抜き出してからはじめるべき。絶対そう。俺発見。

 う、うん……。まあ、なんとなく、わかるよ。整然としたものを作り上げたかったのに、そうはならなかったので、美意識的に許せないというか、やっていてストレスを感じるようになってしまったので、続けられなくなってしまったんだね。気持ちはわかる。でも消さなくてもよかったんじゃないか。どうせ公開していなかったんだし、それはそれで取っておいて、別に仕切り直したものをはじめればよかったんじゃないか。このあたりの感覚は、若さということかな、と思う。
 25歳の僕はこの日の記事をこう締める。

 このことはすごい勉強したなあという感じがあって、先人として誰かに教えてあげたくてしょうがない。「いくつものブログに合計で何千か記事があってそれをひとつにまとめることにしたんだけど、ただまとめるんじゃなくてせっかくだからタグをすごい綿密に設定しようと思うんだけど、それにあたってのなにか心構え的なものがあれば」みたいなワードで、誰かこの記事を検索しないだろうか。おーい、ここだよ。たどりつけー。

 検索でたどり着いたわけではないが、16年後、この行為のことをすっかり忘れていた、そしてまた同じような行為をしようとしている本人が、感慨深く読むこととなった。ちなみにこの先人の知識はまったく必要とせず、今回おもひでぶぉろろぉぉんでは、そもそもが全記事網羅ではないし、タグに関しては、出典のブログ名をタグにするかどうか開始時に少し悩んだが、煩雑になりそうだと考えて避け(もしかすると脳のどこかで経験則が生き残っていたのかもしれない)、完全に投稿時の自分の年齢だけ、ということでやっている。これはとても楽で、これこそが正解であったと、41歳の老練な僕は思っている。完璧を目指す25歳の僕がこの姿を見たら、幻滅するかもしれない。
 いま読んでいるのはここまでなのだけど、確信していることとして、僕はこのあと、改めて統合ブログに取り掛かることは決してない。記憶にないからではない。記憶には、失敗に終わったこれに関しても一切なかった。そうではなく、自分のことは自分がいちばんよくわかってるという理屈により、もう絶対やんねえだろうな、ということがわかるのだ。彼が、僕がふたたびこういうことをしはじめるのは、これから14年後のことである。