2644匹の猫 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 おもひでぶぉろろぉぉんはようやく2009年3月、すなわち結婚式のあたりまで来た。結婚式が3月15日で、読み返し作業はその直前まで進んでいる。あえて当日の日記までは読まず、今回はここまでの「結婚式前の準備期間」について言及したいと思う。
 結婚式というか、式のあとの両家の食事会に向けて、僕とファルマンは事前にいろいろ作る必要があった。具体的に言うと、まずウェルカムボード、次にご挨拶や席次表が記載された配布冊子、そして参列者に配るオリジナルの絵本である。
 「必要があった」と言ったが、厳密に言えば、必ずしも必要なわけではなかった。システマティックな式場での式ではなかったから、料金さえ払えばなんでも面倒を見てくれるというわけではなかったけれど、それでもネットなどで探して業者に依頼しようと思えば、たぶんいくらでもできることだった。でもそうはしなかった。お金をあまり使いたくなかったというのもあるかもしれないが、自分たちの結婚式に、自分たち以外の人の制作したものが入り込むのが嫌だったというのが大きいと思う。16年経った今もそう変化はない、その種の意固地さ、頑なさによって、われわれは大量の作業を抱え込むことになったのだった。
 席次表などの配布冊子は、探せばどこかにまだ現存するのかもしれないが、少なくとももう何年も目にしていないので特に印象がない。
 オリジナル絵本は、衣替えでクローゼットを整理したときとかに、不意に姿を現すので、そのたびになんともいえない気持ちになる。

 4コマへの逃避がひと段落したので、そのあとは結婚式のほうのをまじめにやった。本の表紙のデザイン。だいぶ恥ずかしい本になりそうで、食事会のときだけ存在し、翌日には幻のように溶けてくれればいいのにと思いながら、シコシコとやる。
(2009年2月14日付 KUCHIBASHI DIARY)

 救いといえば、作成時になんの疑問も抱かなかったわけではなく、きちんと、いま自分たちはとてつもなく恥ずかしいものを作っていると自覚している点だ。本人らによる文・絵で紡がれる、ふたりが出会って結婚するまでの物語。なんでいまだ溶けてくれていないのかと思う。親類の家々に、向こうも捨てづらいだろうから、いまも本棚とかにひっそりと収まっているのかと思うと、本当に居た堪れない気持ちになる。
 しかしやはり最も印象深いのは、ウェルカムボードだ。絵の得意な友達とかに頼むことで知られるウェルカムボードだが、こちらももちろん自分でやる以外の発想はなかった。2月18日に、初めてそれについての記述がある。

 昨日からはウェルカムボードの製作を始めている。本はいったいどうなったのか。とどまるところを知らないわくわくさんの逃避。いま東南アジアくらいまで来ている。
 ウェルカムボードはA2くらいのボードをちょっと前に渋谷で買ってきていて、それにサインペンでしこしこと書いている。A2くらいのボードにいきなりペン、それも黒の細めのサインペン1本だけ、という時点で、ウェルカムボードも本のほうに負けず劣らず痛々しいものになりそう。

 しこしこ、という表現をやけに使いがちなのはなぜだろう。若さだろうか。
 かくして結婚式の約1ヶ月前から、僕はウェルカムボードに取り掛かったのだった。それがどういうデザインだったかといえば、全長3cmくらいの猫を、ボードを埋め尽くすようにびっしり描く、というもので、口で説明しても伝わらないだろうから、「俺ばかりが正論を言っている」に投稿された、進捗状況の記録写真を何枚か引用することにする。
 

 





 一部をアップにするとこういう感じである。
 

 かわいい。たいへんかわいいのである。しかし他にもいろいろやることがある結婚式前に、果たして新郎が取り組んでいい案件かな、という疑問はどうしたって生ずる。もっとも引用文の中で当事者も自覚しているように、これは逃避に他ならない。式場とか、親類とか、そういった対外的な方面の労務から目を逸らし、さらには「俺はこれをやってるからそっちはお前に任すよ」とファルマンに押し付けるための防具なのだった。
 そんなこともあり、この結婚式準備期間、僕とファルマンの間には険悪な空気が流れる場面もあったようだ。2月26日。

 ファルマンから最近たびたび「性格が悪い」と言われる。これは結婚式準備という共同作業をしているせいに他ならない。共同作業なんかしていなければ、お互いにお互いの性格をちょっとどうかと思いつつも、そんな風に指摘したりしない。
 僕は割と僕以外の手によるあらゆることが嫌いと言うか、自分最上主義であり、ウェルカムボードがすごい手間で、手首が痛かったり肩が痛かったりするのだけど、ファルマンに手伝ってもらうわけには絶対にいかず、猫1匹だって描いてもらっては困り、彼女だってあんな小っちゃい猫なんて死んでも描きたくもないだろうが、どちらにせよ共同作業なんて極力したくないと思っている。人が横から入ってくるのがすごく嫌いなのだ。そんな僕のスタンスが、もちろん既に自明ではあったのだけど特に今晩は顕在化してしまって、ファルマンから「あなたは性格に問題がありすぎて、なるほど友達がいるはずなくて、妻として嫌だと言うか、もうひどすぎて心配なくらいだよ」みたいなことを言われ、「俺だって友達いないことが不安で眠れない夜があるよ!」と応酬したのだけど、ダブルベッドで隣に眠るファルマンには「ないじゃん! 毎晩寝付きよくグーグー寝てるじゃん!」と喝破され、ああそう言えばぜんぜん不安がないわ、と思い、まあいっか、友達程度の話なんかどうだって、と思った。
 期せずして「友達は必要?」みたいなテーマの討論となったので、「ここは真剣10代しゃべり場か」とツッコんだら、「陰険20代しゃべり場だよ」とファルマンに返されて、それはうまいと思った。そんな風に時々うまいことを言ったり、モノマネがやけにうまかったりするので、ファルマンがいればそれでいいなと思った。なんなら猫もちょっとぐらいなら描かせてあげてもいいくらいに。まあ彼女は「死んでも描きたくないよ」って言うだろうけど。

 なんだかいろいろ考えさせられる日記というか、このあとの16年を知っている身からすると、お前に社会性のことを言われたくねえよ、などとも思うし、そしてファルマン(および家族)さえいればそれでいいという気持ちはこの当時よりもさらに強まっているな、とも思う。
 ウェルカムボードが完成したのは、式当日6日前の、3月9日であった。

 相変わらず準備に追われている。昨日仕上がらなかったウェルカムボードを、ついに完成させた。描きも描いたり2644匹の猫たち。最後のほう、「あとスペースこれだけだからせいぜい100匹くらいで、100匹なんてないも同然だな」と見積もっている自分がいて、ファルマンに「猫100匹て」と言われ、そう言えばなんで猫100匹描くことを俺はないも同然の労力のように捉えてるんだろう普通の人は一生に猫100匹も描かないだろうに気持ち悪い、と思った。
 この猫たちみんなポーズが違うんですよ、と言いたいところだが、別にそんなことない。「顔は必ず全景描く」というルールがあって、そのため目や口をこすったり、ほかの猫の腕が顔に被っている猫は1匹もいない。これをやると本当に隙間なく描けてしまう(顔の全景を描かなくてもいいということは、丸ごと描かなくてもいいわけで、ちょっとしたスペースを腕とか脚とか埋めてもいいことになる)と思ったのではじめからそう決めていた。そのためどうしても空白になってしまう部分もできたが、ごちゃごちゃするよりはよかったんじゃないかと思う。それに上記の2644匹というカウントもしやすいし。もっともその数字がいま考えた真っ赤な嘘でなければもっとよかったのだろうが、残念なことに真っ赤な嘘だ。数えたくもないが、数えやすいは数えやすいだろうと思う。
 とにかく右手が疲れた。猫を色で塗る作業も割と神経を使う。サインペンで猫を描くのとは、別の筋肉を使うのだろうと思う。ファルマンは延々と絵本の色塗り。僕がウェルカムボードにこんなに時間を掛けなければそっちの色塗りはやってあげられたのに、申し訳ないと思う。猫の大群が出てきて気持ち悪かった夢を見た晩もあったと言うし、そういう意味でも申し訳なかったと思う。

 続いて10日。

 猫の色塗りが完成した。色を塗った猫で、いわゆるウェルカムボード的な文面を作り上げてゆく。つまり端的に言ってしまうとこれはマスゲームなのだ。文面は、「welcome!」「2009.3.15」、そして僕の名前、ファルマンの名前(アルファベット)という感じ。「塗る猫は全身塗る」というルールにしたため、文字として読みづらい部分もできてしまったが、「顔だけ塗る」とかが許されたら意味がないのでしょうがない。文面は猫を描き終えてから決めたので、無理が生じるのは当然だった。
 でも時間が掛かっただけあって完成品の満足度は高い。このB3のボードには、僕のいろいろなものが詰まっている。あるいは十牛図のように、ここに描かれた猫らの姿から、見た人が勝手に解釈してなんかしらを感じ取ればいいのだと思う。あんまり目にする機会はないと思うけど。
 ちなみにいま悩んでいるのだが、結婚式後はこのボードを、文面を埋没させるようにすべての猫にとりどりの色を塗って、なにかよく判らない、B3のボードに3センチくらいの膨大な数の猫がカラフルな配色で敷き詰められているもの、というそんな風なものにするのはどうかと思う。そして部屋の壁に飾るのもいいかなと思うのだ。もちろんファルマンは嫌がる気がするけど。

 このウェルカムボードのなにが印象深いって、めちゃくちゃ労力をかけたというのももちろんあるけれど、実はいま現在、玄関の靴入れの棚の上に置かれていて、毎日なんだかんだで目に入れているので、印象深いもなにも、リアルタイムでその存在を感じているのだった。結局すべての猫に色を塗るということはしておらず、そのため僕とファルマンの名前が明示されたままなので画像はアップできないのだけど、おもひでぶぉろろぉぉんという読み物の世界が、現実の暮しにも干渉してくるという、当人の日記なのだから当たり前ではあるのだけど、16年という歳月に拠るものか、そこには少し分断もある気がして、ウェルカムボードに描かれた2644匹の猫(嘘の数字だが)たちが、みんなでニャーニャーと力を合わせて、16年前の結婚式の準備をしている若いふたりと、いまの、ふたつの世界を繋いでくれているのだな、などと思うのだった。
 次はいよいよ結婚式である。