東京の行動範囲、島根の交通手段 ~おもひでぶぉろろぉぉん~
前回の記事とも関連するのだけど、2008年の11月に、僕はまあまあスポーツタイプっぽい自転車を購入し、これにより公共交通機関に頼らない行動の範囲を広げたようである。
それまでも自転車は一応あったのだが、これは実家から持ってきた、1999年に配られた地域振興券を利用して買ったもので、この自転車もここまでの練馬での暮しでぜんぜん使っていないわけではなかっただろうが、見た目はおしゃれなのだけど、フレームが太く、全体的に重たくて、オーソドックスなママチャリよりもはるかに走りにくいような代物だったので、本当に近場に行くときにしか乗らなかったのだったと思う。
自転車を買ってしまう。結局は数日前に書いた、「カゴがつかないんならいいです」といちど断ったやつにした。どうせどれもカゴがつかないのならそれがよかった。
店からの帰り道、乗ってみたら快適さに驚いた。これまでのは苦行のようにペダルを踏むのが重かったのである。ちなみにこれまで使っていたオレンジ色のおしゃれな自転車は、地域振興券で買った覚えがある。となると10年近く乗ったのか。けっこうすごい。早く新しい自転車で中央線のほうにサイクリングしにいきたい。
当時、出勤は練馬駅から西武池袋線で池袋駅に通っていたはずなのだが、このときのスポーティーな自転車の購入以降も含め、駅まで自転車で行っていたという記憶がまるでない。練馬駅までは徒歩で20分あまり掛かった。自転車を使うべき距離だ。それなのになぜか僕は使っていなかった。この理由が、17年後のいまとなってはもはや霧の中だ。ファルマンにも訊ねたけど、ファルマンも覚えていなかった。自転車置き場に空きがなかったのだろうか。自転車大国であるはずの練馬に限ってそんなことはないような気がする。当時、早番は朝が早く、遅番は夜が遅かったが、駅の自転車置き場であれば始発と終電には当然対応しているわけで、それが理由になるはずもない。謎だ。パピロウ50ミステリーのひとつだ。
新しい自転車を買ったのは、平和台のヤマダ電機の地下に入っていたお店で、いま検索をしてみたら、ヤマダ電機もあったし、自転車販売もやっているようだった。ストリートビューで眺める風景は、懐かしい部分と、変わった部分とが混在していて、おもしろい。ヤマダ電機の道を挟んで向かいには、いまchocoZAPがあるようだが、もちろん当時そんなものはなかった(そもそもRIZAPができたのが2012年だそうな)。
ちなみに自転車のメーカーなどは判らない。忘れたのではない。買った当時から知らなかった。そういう方面に本当に興味がなかった。いまもそんなにない。自動車のメーカーや車種名も、島根に来てからやっと把握するようになった。
通勤に使わないくせに自転車を購入した理由は、引用の中でもチラッと書いているように、中央線方面に行くためだ。当時の風潮か、あるいはいかにも日芸生的なムーブか、中央線沿線に対する憧れのようなものがやけにあった。さらには西荻窪にあったレンタルボックスの店でスペースを借り、作ったものの販売もはじめていた。そのため中央線には頻繁に足を運ぶ必要があったのだが、練馬エリアから中央線方面というのは、距離的には近いわりにアクセスが悪く、いま検索をしたら練馬から西荻窪へは、大江戸線で東中野まで行って、そこから中央線に乗り換えだという。微妙だ。大江戸線って、なるべく使いたくないんだよな。どうやらこれまでファルマンと中央線に出るときは、練馬から荻窪行きのバスというのを利用していたようである。しかしどちらにせよ中央線に出てから、西荻窪で降りて、レンタルボックスの店に行って、また電車に乗って、吉祥寺に行って買い物して、なんてことを考えると、電車賃も掛かるし、非常に面倒である。その悩みが、自転車で行動すれば一挙に解決するのではないかと考えたのだった。
天気がよかったので、自転車による中央線行きを実行してしまう。もちろんこれはひとりである。ファルマンは留守番。休日を別々に過ごすのはかなり久し振りな気がする。こう書くとまるで仲良しみたいだが、ただ単にふたりとも対外的な予定を作らないだけだ。
事前にルート検索をして地図も印刷したので、予定通り、迷わずに1時間足らずで吉祥寺に到着することができた。すごいすごい。行けるもんなんだね。それまで電車でしか行ったことのなかった街に自転車で来ている自分、というのはなんか不思議な気がしておもしろい。非日常と日常の混ざる感じ。
決行したのは11月22日。サイクリングにはちょうどいい時候であったろう。
地図を印刷していたという部分に時代を感じるなあと言いたいところだが、2025年においても、案外プリントアウトした地図のほうが便利な場面というのもあるので、一概には言えない。
このときどういうルートを使ったのか、というのはもちろんもう覚えていない。西武池袋線沿線から中央線沿線に行く場合、必ずどこかで西武新宿線の線路を突っ切ることになるが、いま地図を眺めていたら、鷺ノ宮駅という字面に覚えがあるので、なんかまあそのあたりを走ったのだと思う。ちなみに西武新宿線って、西武池袋線ユーザーにとって、近くて、なんなら兄弟のようなもののはずなのに、逆に異様に利用する機会がないので、存在するけど存在しないパラレルワールドにある路線のような印象で、これは東急田園都市線における東急東横線に対するイメージとよく似ている。
でも吉祥寺に着いて、早速ユザワヤに行こうか、いやいやそろそろお昼の時間だし先に腹ごしらえか、と考えるのだが、しかしそれ以前に自転車をどうするかという問題があって、というのもいざ自転車で行ってみたら、徒歩の時はぜんぜん意識してなかったけど、繁華街に自転車を停める場所っていうのは意外とないのである。
それでいちど歩道の、放置自転車の群がっているポイントに停めてみたのだが、やはり自転車が買ったばかりということもありどうにも不安で、しょうがないのでしばらく自転車に乗って街をさまよう。さまよった結果、駅からちょっと歩いた所に駐輪場を見つけ、そこに100円の一時利用で停めた。停めたら結局、吉祥寺の街は徒歩で散策するわけで、なんかちょっと自転車で来た意味が薄れたような感じもあった。
お昼ごはんを済ませてからユザワヤへ。ひとりで来るユザワヤは、ファルマンにせっつかれることもなく、じっくり買い物ができてよかった。「月刊少年 余裕」のための色紙とかを買う。1枚20円の色紙を2枚買うのに、5分以上悩む。ファルマンがいたらできないことである。
ユザワヤを出たあとは商店街を歩き、細々したものを買って、吉祥寺は終了。
そうなのか。都会は自転車を自由に停める場所さえないのか。島根でも自転車を停める場所を意識することはあまりないが、それは自転車ユーザーがほとんどいないからで、駐輪場の一時利用で100円どころか、こちらの駐車場にはほぼ駐車券というものが存在しないのだった。とにかく生活様式がぜんぜんちがう。
ところで吉祥寺へは主にユザワヤを目的に行っていたわけだが、このとき池袋にはまだキンカ堂があったわけで、そこまでして吉祥寺のユザワヤまで行く必要が本当にあったかしら、といまになって思う。25歳の僕は、「吉祥寺のユザワヤで資材を調達する自分(それも自転車で)」をやりたかっただけなんじゃないのか。十中八九そうだ。
東京を離れてから、日暮里の生地問屋のことなどを聞くにつけ、どうして住んでいるときにいちども行こうとしなかったんだろう、と思ったりする。池袋から山手線ですぐではないか。でもそんなことを言い出したら、日暮里に限らず、子どももいなくて自由だった時期に、東京で、なんであんなにインドアに暮していたのか、という話になってきて、とても詮無い、嘆いてもしょうがないおっさんの感傷になるので、よしておく。
自転車を回収し、線路に沿って西荻窪へ移動する。例のレンタルボックスにまた納品をするためである。今回は消しゴムはんことくるみボタンを納品。前回納品した商品のうち、ヒット君人形が2体ほど消えているような気がした。売れたのだろうか。ひと月〆なので結果はまだ判らない。次に行くときには「月刊少年 余裕」を持っていければいいなと思う。
西荻窪から、次は荻窪へ。
そして荻窪から自宅へのルートは、いつもバスで来ているので頭に入っていた。そんでもって帰る。帰宅したのは16時ごろ。明るいうちに帰ってこれてよかった。
このレンタルボックスの話も、そして「月間少年 余裕」の話も、また別の記事で改めて触れることになると思う。今回の記事は、あくまで行動範囲とか、交通手段とかの話。
しみじみと思うのは、隔世の感だ。時代ではない。地域だ。居住環境によって、観念はこうも変化するのかと驚いている。練馬時代(横浜時代も含む)はとにかく電車に乗っていたし、それに付随して歩いてもいた。それが今は本当に車一辺倒だ。僕はいまもう自分の自転車に関し、乗らないどころではなく、保有さえしていない。この2008年に買った自転車は、どのタイミングで手離したのだったろう。
ところで夏にはまた去年と同じく、横浜に車で帰省する心積もりがあって、その際にもしかしたらまた、みなとみらいに行く用があるかもしれないのだが、その場合、今回は車で行きたいね、ということをファルマンと話している。あざみ野から桜木町までの片道約30分、往復で1時間あまりの地下鉄が、2024年のわれわれの、本当に唯一の公共交通機関の利用だったのだけど、あれはすごく嫌だったね、今度は車で行きたいね、と。本気でそう思うと同時に、脳みその内側のほうで、みなとみらいに自家用車で行くってずいぶん特殊な発想をする家庭だな! と思う自分もいる。17年という月日はかくも長い。
ちなみに先日2月6日に、cozy rippleは誕生21周年を迎えた。21周年で、おもひでぶぉろろぉぉんがいま17年前のことをやっているんだと考えたら、マジでもうおもひでぶぉろろぉぉん、3年目なのにぜんぜん進んでないじゃん! と思った。心を入れ替えたい。これを言うの、何度目だろう。