練馬が私にくれたもの ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 前回、婚姻届を提出したことでもらえる記念品の苗木の話をした。
 8月8日の日記において、その登録をしたということは書いているが、ならば受け取ったはずである苗木の記憶も記述も一切ない、と。あのあと日記を読み進めたところ、婚姻記念日からちょうど3ヶ月後、11月8日にその顛末は記されていたのだった。

 昼過ぎになって外出。
 区による、この期間中に婚姻届を出した夫婦に記念の苗木(あるいは鉢植え)をプレゼントするという企画の、それの受け渡しが今日で、ちょうど休みだったこともあり、「じゃあ鉢植えをもらおうじゃないか」と、ひどく重い腰を上げたわけである。
 雨は思っていたほど降らず、妙子の好きそうな曇天の1日だった。
 行く途中で、区内のこれまで行ったことのない図書館に立ち寄り、本を借りる。初めて行く図書館は新鮮でいい。思わず10冊めいっぱい借りてしまう。これが重いの重くないのって。重いよ。トートバッグの紐を肩に食い込ませながら、(これプラス鉢植えかー)と途方に暮れる。暮れなずみながら受け渡し場所に向かう。

 妙子の好きそうな曇天という表現にドキッとする。将来この記述が「おもひでぶぉろろぉぉん」に引用されることを予期していたかのようではないか。
 さてここから、今回の話を進めていく都合上、とても具体的な地名を出してゆくことにする。このとき立ち寄った図書館、これは光が丘図書館である。のちに引っ越しを経て最寄り駅となる光が丘だが、このときはまだ馴染みがなかった。あんなに小さい東京の、さらにその中の練馬区内のことだというのに、意外とそんなものだ。
 このときわれわれが住んでいたのは、練馬と、豊島園と(西武線)、氷川台と、平和台と(有楽町線)、さらには練馬春日町(大江戸線)という、最寄り駅が5つもあるような、逆にどの駅からも絶妙に遠いような、そんなあたりで、いまgoogleマップで眺めると、光が丘だってすぐそばのように感じるのだけど、僕もファルマンも練馬の土地勘があまりなかったし、またそれぞれの職場が池袋と富士見台であっため、行動範囲はどうしたって西武線方面に傾きがちで、逆方向にある光が丘方面は未知のエリアだった。そもそも光が丘というのはどこまでもベッドタウンであり、大型公園やショッピングセンターもあるが、それは本当にそこに住んでいる人が利用するだけで成り立つ感じなので、よその地域の人間があえて行くような場所ではないのだ。
 その光が丘に、苗木の受け渡し場所があったのだ。
 10冊の本を借りて、さらにはそのあと鉢植えを受け取ろうとしているのだから、自転車ではなく、電車かバスで行ったのだろう。ただし交通手段に関する記述はない。「うわのそら」にもなかった。電車の場合、先述のとおりどの駅からもだいぶ歩くので、バスだろうか。しかし駅から離れていたわりに、あまりバスを利用していた思い出もない。
 そして肝心の苗木はどうなったかと言えば、こうである。

 でも実際にその場所に行ってグッドニュースが。指定された会場で受け付けの人に引き換え用のハガキを提示したところ、「これは明日ですよ。ホラ。なので明日また来てください」と言われ、見てみたらハガキには思いっきり「11月9日」と書いてあって、僕はファルマンの「今日は苗木の受け渡しだからね」という言葉でしか情報を入れていなかったので、ファルマンのそのどうしようもないうっかりミスのせいで、外出の主目的がすっかり雲散霧消してしまったのだった。でもこれは奥さんが阿呆なのに、その口から出た情報を疑うことなく信じた僕のミスだ。
 今回の鉢植えをファルマンは、結婚の証としてやけにもらいたがっていて、別にもらいたくもなかった僕は、(でもこいつはもらうだけもらってろくに管理せず枯らしてしまうのだろうな、そしてその様を見て僕は、僕ら夫婦のこれからを暗示しているようだと思うのだろうな)と思いながらここまで来たのだが、現実は僕の予想のはるか上をいっていて、ファルマンが日付を読み間違ったせいで鉢植えをもらえさえしない(明日も休みだが、決して近い場所でもないので明日はもう行きたくないのだ)、というそのオチは、僕ら夫婦の今後の暗示としては、なるほどむしろこちらのほうがより相応しそうだな、と納得するものだっだ。

 曲がりなりにも新婚だというのに、早くもわりとモラハラ気質が透けて見える。まだ20代半ば。言葉が刺々しい。ファルマンのキャラクター、夫婦の関係性は、この時代から特に何も変化していないが、いまはもうちょっと穏やかに、「阿呆」とか「こいつはもらうだけもらってろくに管理せず枯らしてしまう」とかではなく、どう考えても野生で生きていけないコンパニオンアニマルを慈しむような気持ちで接するようになっている気がする。
 というわけで、日付を1日間違えるという、のび太の結婚前夜みたいな、漫画みたいなことを本当にやって、そして当時の住まいから光が丘というのは、近くて遠かったので、翌日はもう行かなかったのだった。チャンチャン。
 この日のことが、「うわのそら」にはこう記されている。結びの部分。

 私の強い押しによって苗木を貰いに行くことを承諾して一緒にきた夫は、すっかり力が抜けてしまったようで長い溜息をつきながらよたよた歩き、私は笑うしかなくて、せめてもの償いに十冊の本を持ってあげて、へらへら謝りながら、再び長い銀杏並木を引きかえした。明日はたぶん、いかないだろう。苗木、そういえばもらっても、植えるところがうちにはないし、鉢植えでもらえたとしても、土曜と日曜を間違うような私では、枯らしてしまうことだろう。残念だ。部屋に新鮮な酸素が増えると思ったのになぁ。赤ちゃんが生まれた時にも、届をしたらまた引換券をもらえるようなので、そのときはちゃんと、日時を確かめて、そのときこそは、もらいに行こうと思う。赤ちゃん連れていこうと思う。

 なぜこの部分をわざわざ引用したかと言えば、「赤ちゃんが生まれた時」というのがすごいな、と思ったからだ。こののち、妊娠を機に引っ越しをして、最寄り駅は光が丘となる。しかし出生届を練馬区役所に提出した際、苗木の申し込みをしたかどうかは定かではない。結果として練馬区から苗木はいちどももらっていないという事実だけは確かである。苗木を受け取らない代わりに、乳飲み子がいる家庭を対象にした、2リットルのミネラルウォーターを2本受け取った。この話は「おもひでぶぉろろぉぉん」的にまだまだ先のことになるけれど、それは放射能が入っていない水なのだった。
 ちなみにだが、ちょうど今日で、当該の赤ちゃんは生誕14周年となった。祝いは週末。