Long-lasting aphrodisiac effect
もう長年そんなことをしてこなかったので(「PUROPE★PAPIRO★CANTABILE」時代にまで遡るかもしれない)、どのブログに書けばいいのか少し悩んだ。性の本なら「BUNS SEIN!」でよかったのだが、そちらの要素もないではないものの、それだけではないので、結果としてこのブログになった。要するにこのブログは、その他・雑記ブログであり、官庁で言えば総務省みたいな役割なのだな。
さてそんな前置きをして、わざわざ取り上げることにした本はなにかと言えば、リン・シェール著、高月園子訳「なぜ人間は泳ぐのか? 水泳をめぐる歴史、現在、未来」(太田出版)である。原書は2012年、訳書は2013年の刊行となっている。アメリカの女性ジャーナリストが書いた、泳ぐことにまつわる歴史およびエッセー。
向こうで「ブック・オブ・ザ・イヤー」に選ばれるなど、ずいぶん評判がよかったらしく、たしかにおもしろかったし、なによりもこう思った。
こういう本、もっとないの?
なにしろ、目下趣味は水泳である。趣味なので、実は同好の士とそれについて語り合いたいという思いはひそかに抱いている。でも実際の関わりを持つのは面倒事のほうが多そうで嫌だし、かと言ってウェブのコミュニティなんかも性に合わない。そうなってくると、あとはもう水泳について誰かが語っているのを読むくらいしか手がない。
しかし水泳エッセーなんてものは、この世にほとんど存在しない。思い浮かぶのは、高橋秀実の「はい、泳げません」くらいのもので、図書館の水泳の棚を見ても、並んでいるのは泳ぐための教則本か、あるいは北島康介などのアスリートによる、自己啓発本みたいな、体育会系の奴が読んで簡単に心酔するような、そんな本ばかりである。そういうんじゃないのだ。市井のスイマーが、泳ぐこと、およびその周辺に関する雑感をつらつらと綴るような、そういうエッセーがいいのだ。
その点この本は、多少は衒学趣味が過ぎた部分はあるものの、かなり高い次元で、こちらの要求に応えてくれる本だった。
触れる話題は多岐に渡るのだけど、やっぱり僕個人の志向として、水着に関する話が特に興味深かった。ただし著者は女性なので、どうしても物足りない部分はあった。水着は体型をカバーしてくれないという話が主体で、水着のエロティシズムについての記述はほぼ皆無だった。
ただしひとつだけ、紹介されていたエピソードでおもしろいものがあった。とある女性ミュージシャンの話なのだが、彼女は学生時代、裸のままプールで泳いでいたそうで、それはなぜかと言えば、「性に目覚めていなかったから」だったという。「みんなも泳ぐためにそこにいると思っていた。だから誰も見ていないと」と。しかし後年、学生時代の男友達相手にそのことについて訊ねたら、「冗談だろ? どうして僕が監視員をしていたと思ってるんだ?」と驚かれたという。そういうエピソード。これにはいろいろ感じ入るところがあった。実はこの本とほぼ同時に、別の経路からその存在を知った、五木寛之の「美しきスオミの夏に」という短編を読んでいた。これはヌーディストビーチに関するお話で、ヌーディストビーチというものには、もう長年ずっと脳内にいくばくかの思いを抱きながら生きているわけだけど、性に目覚めているか、意識的か、あるいは意識的に性的視点を持たないようにするか、スタンスはいろいろあるけれど、とにかく水泳というスポーツの、なにが魅力かって、さすがにそれが最大とは言わないまでも、すごく肉体をさらけ出すものであるという、その点ではないかと思う。さらにはすぐに羊水の喩えも出てくるが、おらが嗜好する趣味のスポーツの尊さの根拠として、ネイキッドの、根源的な部分というのがある。もちろん日常のプールでは、公序良俗の観点からプライベートゾーンは水着で覆わなければならない。しかしそれは逆に言えば、プライベートゾーン以外はさらけ出され、さらにはそれもたった1枚で包まれているだけだ、ということである。
これは教則本になってしまうのだが、前に読んだ、あの鈴木大地も翻訳に関わっている「アクアエクササイズのすすめ」(ベースボールマガジン社)という書籍で、「水泳に関する誤解と真実」というコーナーがあり、その中で
「水中トレーニングは性欲を減退させる」
という『誤解』に対し(そもそもそんな誤解があまり一般的ではない気もするが)、この本の著者は『真実』として、
「水中トレーニングには、持続的な催淫効果があります」
と答えていた。この話題は本当にこの記述だけで、データや解説があるわけではなかったが、しかしそれはとても欲していた文言だったので、なんだか感激した。持続的な催淫効果。Long-lasting aphrodisiac effect(Google翻訳)。瀬戸大也のことをうっすら思い出したりしながら、それは本当にそうなのではないかな、と感じる。
「おもひでぶぉろろぉぉん」的にはまだまだ先の話になるのだが、いま過去の日記を検索したところ、僕がプールに定期的に通うようになったのは2019年からのことで、なんだまだ5年しか経っていないのか、と驚いたりもするが、それではこの頃から僕には持続的な催淫効果が現れているのかどうか、「おもひでぶぉろろぉぉん」を通して探るのもおもしろいと思った(もしかしたら、僕が異様にちんこちんこ言い出したのって、この頃からだったりするではないのか?)。
なんだかあまり慣れていないので、本の感想を書くと言っておきながら、ほとんど自分の話になってしまったきらいがある。読みたいと思う水泳エッセーがこの世にあまりなくて不満であるならば、僕はもういっそ自分で書けばいいのかもしれない。新しい、特化型のブログが、胎動をはじめたような感触がある。気のせいだろうか。