幻のノミネート語たち ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 過去の日記を読んでいると、そのときどきのマイブーム的な言い回しというのがある。個人的な流行語ということになるか。こういった流れを受けて創設されたのが「cozy ripple流行語大賞」で、のちに「cozy ripple名言・流行語大賞」と名称を変えつつも、「cozy ripple」というホームページが消失した現在も、敬意を表してその名は残し、続いている。
 しかしこの創設というのが2009年のことで、そのため2008年以前に生み出されたフレーズは、栄えある舞台に上がることなく、ひっそり過去のものとなってしまったのだった。「おもひでぶぉろろぉぉん」で2008年の日記を読みながら、ブログの礎となった先達たちが正当な評価を受けないまま忘れ去られることが、どうにも不義理かつ不憫なことに思えたので、この場でそれらを紹介したいと思う。
 まずこちら。

「ボニータ」

 初登場は2008年4月16日。
 男子校出身である僕は24歳になって初めて、女の子のプリーツスカートの下は、めくれたら即ショーツということはなくて、防御用の短パンのようなものを穿いている、ということを知ったのだった(どういうきっかけで知ったのかは記されていなかった)。
 だからちょっとした突風程度のハプニングでは、たまたま通りかかっただけの自分に女の子のショーツという恩恵はもたらされないということになり、それは世界の明度が変わるほどのショックな事実だったが、基本的に前向きである僕は、「だったらいっそその短パンのことを慈しもう」と考え(なんとけなげなのだろう)、スペイン語で「美しい」という意味のこの言葉を与えることにした。命名の由来は、秋田書店の「ミステリーボニータ」という少女漫画雑誌だそう。すぐさま学年題にも採用され、高校1年生の学年語とされた。
 この言葉はもしかすると本当に世間に広く浸透するのではないかという期待があったが、2024年現在、まるでその様子はない。
 続いてこちら。

「カシコ!」「カシコン!」「かしこん。」

 初登場は2008年4月25日。
 女性が手紙の文面を結ぶときに用いる「かしこ」から来ており、これもボニータが関わってくるのだが、当時の職場の同僚から「ボニータが禁止という学校もある」という知見を得た僕は、ボニータにボニータという素敵な名称がついてしまったこともあり、これから少女たちの間ではボニータファッションが活況になっていくと考え、ボニータを禁止としている学校において、少女たちが本当にボニータを穿いていないかどうかをチェックする、ボニータインスペクターの整備が速やかに必要であると、教育関係者に向かって呼びかけた。それがもはや完全にブログではなく、対象となる相手へ向けたメッセージだったため、勢いをつけて最後に「カシコ!」と言い放ったのだった。そしてこれがやけに気に入ったようで、ここから数日間、記事の文末が「カシコ!」であったり、そこから派生した「カシコン!」、さらにはもともとの語句への先祖返りとしてひらがな表記になり、「かしこん。」へと発展したりして、継続した。24歳。まだ学生のようなノリが垣間見える。
 続いてこちら。

「世界は実らなかった甘酸っぱさであふれてる」

 初登場は2008年5月7日。
 この年のGWに、ファルマンは実家の面々と岡山のペンションに泊まったらしいのだが、その際、家庭よりもふた回り大きい程度の風呂に、3姉妹で一緒に入ったというエピソードをあとから聞いた僕は、「圧倒的な喪失感」を抱く。この喪失感の正体はなんなのかと僕は必死に考え、それが「甘酸っぱさ」であると喝破する。今回の場合、僕はファルマンから話を聞いたことで「甘酸っぱさ」を収獲することができた。でもそれは、世界中でおびただしい数が生れている甘酸っぱさの中のたったひとつであり、世界には実ることのなかった甘酸っぱさのほうがはるかに多いのだと気付いたのだった。24歳、まだまだ若き青年の目には、世界もまた早生品種のようにまぶしく見えていた。
 最後にこちら。

「残念和尚のありがたい経文」

 初登場は2007年8月29日。
 今回の中でこれだけが2007年誕生の言葉だが、2008年になっても激しい勢いで使いまくっている。ひとりのブロガーがこれだけ連呼しているのだから、ちょっとくらい水面波のように周囲に伝播されていってもいいような気がするのに、見事なまでにまったく広がっていかなかった。すごく便利なのにな。使用を重ね、こなれてくると、後半は省略して「残念和尚だ」とだけ言うときもあった。さらには「残念和尚の経文だって聴く気になれない」という言い回しも確認でき、これは残念さが格別に強いときの表現のようだ。ちなみにcozy rippleの登場人物相関図によると、残念和尚は、レターズガールズの一員である里見夏子の父という設定があるらしい。いろいろあったんだな。

 とりあえず以上である。今後、またこうやって採り上げる言葉が出てくるかもしれない。仕組みが整備されていなかったせいで、正当な扱いを受けられなかった言葉たちを、こうして供養することができてよかった。