プロペの結婚前夜 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 前回の記事を書くの、もうちょっと待てなかったのか、というくらい、久しぶりに「おもひでぶぉろろぉぉん」をやったら、すぐに結婚挨拶のための島根行の記事が出てきた。「KUCHIBASHI DIARY」、2008年7月19日である。まあ別に、それを読んだあとで前回の記事を書いていたら、もっと厚みのある味わいになったはずなのに、ということでもないけれど。
 練馬区役所に婚姻届を提出するのは8月8日のことなので、実際もう直前と言っていい。長い目で見れば「結婚前夜」と言ってもいい時期だ。ちなみにこの島根行の1週間前には、ファルマンが横浜の実家へとあいさつに来ている。

 帰る直前に、ファルマンがちょっと改まって祖母と母に向かって挨拶をする。祖母と母は「こんなんでよかったら」だの「絶対に一生金持ちにはならないけどいいの?」だのと勝手なことを言っていた。折鶴を1羽50万円でアラブの富豪に売って億万長者になる予定の僕に向かい、身内のくせにずいぶんと厚顔無恥な発言であると思う。

 日本人的な身内に対する謙遜というのもあるだろうが、「絶対に一生金持ちにならない」ってすごい物言いではないか、と思う。「絶対に」って。事実、現状金持ちにはなっていないわけだが、それはこのときの言霊による呪いのせいではないかと思う。この発言がなかったら、今ごろ札束風呂だと思う。
 7月19日の島根行は日帰りで行なわれた。だから交通手段は当然飛行機である。

 羽田空港に来たのは初めてのこと。飛行機は約11時発。
 乗り込んで座席に就いて、自分の心拍数が明らかに上がっているのが感じられた。これまでは普通に飛んでいたけど、こんなにも飛ぶはずがないという確信を持った人間の乗った飛行機は、おそらくきっと飛ばないだろうと思った。気分を紛らわせようと、用意していた本を鞄から取り出す。さて読もうかと思ったところで、これが自分でもびっくりの天然で、その本が向田邦子であることに気付く。もう狙ったとしか思えない、末期的なブロガーっぽいエピソードなのだが、本当にぜんぜん考えてなかった。普通に「いいな」と思って手に入れていたのだ。大失敗だ。持っていること自体が不吉であるように感じられ、窓から投げ捨てたくなった。
 それでもとにかく飛行機は飛んだ。意外だった。

 僕が小学生の頃、いま思えばどういう風の吹き回しだったのか、3年生くらいのときにオーストリアへ、5年生くらいのときにオーストラリアへ、家族3人で旅行に行ったことがあるのだけど、それ以降は一切飛行機に縁のない歳月を送っていた。これまでの2度の島根行は陸路だったし、大学生の頃もびっくりするくらい旅行というものに興味がなかった。だから「羽田空港に来たのは初めて」で、とても鼻につく言い方をするならば、「国内線は初めて」なのであった。
 ちなみにここで綴っている飛行機への恐怖感は、経験に基づかない、血の通わない虚飾である。なんとなく持ってきた文庫本が向田邦子で俺ってばドジ! というエピソードが、どこまでもうすら寒い。実体験としての飛行機のトラウマは、この約7ヶ月後、翌年3月に執り行なわれる結婚式のための島根便で醸成される。

 出雲空港に着いたのは正午過ぎ。東京に較べ空気はカラッとしているが、遮るものがないため陽射しがすごい。もちろん快晴なのである。またやはり空が広い。雲の全体像というのを、去年の島根行きぶりに見た気がする。
 空港にファルマン一家、両親とファルマンが車で迎えにきてくれていた。親同士はこれが初対面である。スケジュールとしては、このままとりあえずお食事会であるらしい。
 お店まで車で移動。道の左手が宍道湖で、助手席に座った僕はそちらに目を奪われていた。宍道湖の上空にぽっかりと入道雲が浮かび、そこを2匹の鷺が飛んでゆく。青空である。圧倒的な光である。なんかもうすさまじすぎる。

 そうだ、もはやすっかり忘れかけているけれど、そう言えば僕は横浜の港北ニュータウン育ちであり、当時は東京在住なのであった。さらには勤務地は池袋駅地下と来た。そのため普段の生活では目にすることのないスケールの大自然に、興奮を隠せずにいる。いまの僕はそれを読んで、動揺を隠せない。かつて衝撃を受けたものが当たり前になってしまっているということに、なんとなく喪失感がある。
 食事のあとは出雲大社へ行き、さらには母が最後に果物を食べた姿が確認されたことで知られる道の駅にも寄って、ようやく実家へとたどり着く。食事をどこでしたのかはもはや定かではないが、出雲空港から大社までの間のどこかだろう。いまでは土地勘があるので察せられるけれど、かなりの移動距離だ。食事の席でひとり酒を飲んだ僕は、この車内で寝落ちしたという。結婚の申し込みをしに来た男が、食事の席でひとりだけ酒を飲み、彼女の父親の運転する車で寝るって、なかなか豪胆なエピソードではないかと思う。

 ここで婚姻届の証人の欄をそれぞれの親に書いてもらいたかったので、その前に改めて挨拶をした。これまで結婚式の下見とかをしといていまさら、という感じもしたけれども。

 実家では先週のファルマンと同様に、少し改まった挨拶をしたらしい。寝起きのくせに。

 そんでもって婚姻届を書いてもらったりしていたら、そろそろ帰りの時刻に近づいていた。帰りの飛行機は20時前ぐらいの出発で、つまり島根での滞在時間は8時間弱ぐらいなのだった。でも感じとしては割とのんびりとできた。日帰り島根旅行ってけっこう可能だ。

 羽田からの飛行時間は1時間半かからないくらいなので、たしかにやってやれないことはないけれど、島根出身の彼女の実家に結婚のご挨拶くらいの用件がない限り、そんなことはしないほうがいいと思う。せわしないから。

 そして飛行機、バスでたまプラーザ、タクシーで帰宅。帰宅は23時前。
 そんな風にして出雲行きはおしまい。愉しかったし、あんまりヘトヘトとかにもならなかったのでスポーティに満足できた。とりあえずこれで無事に籍も入れられるので、結婚式まで面倒くさいことはないな。よしよし。

 この日の記事、基本的に前向きな感じに綴られているのだけど、最後の最後で本音が漏れている。実に詰めが甘い。そして同時に認識も甘い。甘々である。7ヶ月後の結婚式まで、新郎であるお前の身に、面倒臭いことがないわけないでしょう。パピロウのおばかさん。