結婚するって本当ですか ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 そのあともうひとつの目的で、区役所に行く。これまで2年に渡ってそのままにしていた、住民票を移すということをする。これはなぜかと言えば、なんかもうそろそろ結婚するかもしれないわけで、その伏線ということである。

 2008年のブログを読み進めていたら、いきなりこんな記述があったので驚いた。
 労働が休みで実家に帰った6月の出来事である。
 ファルマンと僕はこのあと2008年の8月8日に、練馬区役所において入籍をするので、事前に住民票を移しておくのは当然で、伏線というのもたしかにその通りだ。
 驚くポイントは、「なんかもうそろそろ結婚するかもしれないわけで」という言い草である。
 ここまできちんと年代を追って読んできたので分かるけれど、ファルマンと僕が結婚をするという話は、僕のブログにおいて、このとき初めて出たはずである。この前年の9月に、それまでの変な形の同居状態から、大手を振っての同棲生活へと移行しているわけで、結婚という流れは順当と言えば順当だが、しかし同棲しても結婚に至らないカップルなんていくらでもいる。われわれがどっちに転ぶのかは、この時点まで不確定だったし、結婚するなら結婚するで、もう少し満を持して発表するべきではないかと、40歳の目から見て思う。
 しかしこれもまた、前々回の記事と同じく、時間が経ったことでジョークがジョークとして通じなくなっているタイプなのかもしれないとも思う。どういうジョークか。「伏線と真相を同時に言ってしまう」というジョークか、はたまた「結婚というとても大事なことをあえてめっちゃさらりと言う」というジョーク。どちらにせよあまりに伝わりづらい。24歳のセンスは解らない。
 あるいは、「25歳で結婚する」というのはファルマンの人生における決定事項だったため、この時期にはもうだいぶ結婚のことをせっつかれており、それにより僕は少し蓮っ葉な態度となり、なんか知らねえけど俺は結婚するらしいんだよね、という他人事感をにおわせているのかもしれない。そしてたぶんこれが正解なんだと思う。
 説としてこれが正解だろうし、そしてファルマンにだいぶプレッシャーをかけられての、このタイミングでの結婚というのもまた、人生における選択肢の正解であったのだと、16年後の今、実感する。まだ覚悟ができていない、だいぶ流され気味な感じだが、じゃあ待っていたら僕の中の機はいつか熟したのかと言うと、たぶんそんなことはないのだ。立場が人を作るというか、結婚をする覚悟というのは、結婚してからじゃないと醸成されないのだと思う。だから、流されてよかったのだ。心からそう思う。
 そしてこのたび、昨日、われわれの結婚生活は16年目を迎えた。(200)8年8月8日、北京オリンピックの乍中であった。それから4年目ロンドン、8年目リオ、(なぜか1年ずれて)13年目東京、そして16年目のパリである。いろいろありながら、とりあえずやってきた。パピロウオリンピック、生きてるだけで偉いので皆優勝でーす。
 あと16年ということで思ったこととして、正確な年数は分からないけれど、たぶんファルマンと僕の夫婦生活は、僕の両親の夫婦生活の年数を超えたのではないだろうか。僕が小学校2年生、姉が小学校6年生の頃に離婚があったので、たぶんこのあたりでもう超えている。そうか。両親が、僕の両親が夫婦として家庭を築いていた期間は、これよりも短かったのか。なんか不思議な気分だ。