16年前のしょこたんと俺 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 16年もの間が空くと、当時の空気感が掴めず、ジョークなのかどうなのかよく分からない、という記述がよくある。

 短歌つながりでファルマンの話になるのだが、この前知ったことにはファルマンの日記「うわのそら」の記事数は現在1400ほどになるのらしい。では1400記事だとして、彼女の書くそれはいつも割と長く、それでも控え目に計上してその平均が原稿用紙2枚分だとすれば、彼女はこれまでに2800枚分の日記を書いているということになる。
 それはそれで大いに異様なのだが、さらに言えば僕は一応それにひと通り目を通しているはずで、だとすれば僕というのは恋人の書いた文章を原稿用紙2800枚分読んだ男なのだなあ、と考えるとそれもまたあまりに異様であると思った。キモスギザー。

 最後の「キモスギザー」なのだが、当時、新・ブログの女王と呼ばれていた中川翔子(元祖のブログの女王は眞鍋かをり)がよく使っていた「ギザ〇〇」を、真似してそのまま使うのではなく、中川翔子本人や、さらには中川翔子を崇拝する人たちのことをバカにする目的で、わざと間違えた感じで使う、というジョークだったんだと思う。
 本人なので、16年を経てもかろうじてその意図が解る。でも本人でなく、さらには当時のブログ界における中川翔子の存在の大きさのことをよく知らず、なんかそういう言い回し流行ったよね程度の認識しかない人間がいまこれを読んだら、わりと普通に、「パピロウも当時は中川翔子のブログに影響されてたんだな」と思うに違いない。心外である。
 続いてこちら。

 3連休があんまりうまいこといかなくて、昨日はファルマンの胸で泣きながら寝たのだけど、そうしたら今日は気分がよくて、労働だった割に夜の帰り道とかで心が希望に溢れていたのだった。だって桜が開きかけているし、落ち込んでる場合とかじゃ全然ない。愉しい。生きるのって愉しい。俺はなんでもできる。好きなものぜんぶ好き。
 しかも家に帰ったらファルマンが僕のパソコンデスクの周りを片づけてくれていて、最近どうにもこうにもゴチャゴチャしていた感があり、それも昨晩に泣きついたのだが、それが見事に解消されていて、とても素敵な気持ちになった。ああ世界は希望だらけだ。

 この記述には本人ながら驚いた。
 恋人の胸で泣きながら寝たという記述は、本当にそんなことがあったとしたら、まさかそれをブログに書くとは思えないので、じゃあジョークって伝わりづらいタイプのジョークなのか、とも思うが、いや案外、24歳の僕は、自分の弱い部分や悩みを正直にブログに書いていたりもするので、これも実際の出来事かもしれないぞ、と思う部分もある。まったく判断がつかない。たちが悪い。
 ファルマンに「どう思う?」と訊ねたところ、
「まあグズってたんだろうね」
 と、要するにあの感じでしょ、今だって定期的になるあれでしょ、みたいな感じでいなされたので、記述こそしないが、ファルマンに向かってくよくよ愚痴る、というのはよくあることらしい。自覚症状がまるでなかった。
 しかしだとすれば、僕は16年前からなんの進歩もないのかもしれない。心の発育は今も20代のままで、ただ体がちこちガタが来ているだけなのだな。かつてロンドンブーツ1号2号が番組で、亮にコナンの格好をさせていろいろやる企画で、亮の決め台詞が「体は大人、頭脳は子ども!」だったけど、まさにそんな感じ。というか、大抵の大人はそうだと思う。脳細胞は日々どんどん死滅していくのに、生き永らえることで思考が深まっていくはずがないのだ。えーと、これはなんの話だったっけな。俺がギザカワユスな話だったっけな。