手芸をはじめる奇蹟の瞬間 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 「おもひでぶぉろろぉぉん」をしていたら、2007年の4月に、大学を出たあとも唯一つながりがあった、もともとファルマンのゼミ仲間である文芸学科の女性が、ファルマンと僕が暮していたアパートに遊びに来ていて(ちなみに彼女は当時もう妊婦であり、このときの娘はもう高2だ)、われわれふたりとものブログの読者であった彼女がこの日、あとから見るとかなり重要な発言をしていた。

 恋人の友達である妊婦が遊びに来る。彼女は僕の期待通りにヒット君に喰い付いてくれていたので嬉しい。すっかり言い忘れていたけれど僕のサイトって、ほとんど彼女の子どもの胎教のためだけにやっていると言っても過言じゃない。彼女の子どもに「ところでミッキーとクチバシってどっちがメジャー?」と疑問を持たせるのが僕の夢だ。また彼女は「ヒット君のぬいぐるみが欲しい」と言っていたそうで、(なるほどな)と思った。クチバシは2次元向きのデザインだが、ヒット君は3次元が割といけるかもしれない。グッズの参考にしよう。

 キャラクターのグッズ展開というのは、この出来事の前から頭にあって、クチバシや、それ以外のikimonoなどを、シールや缶バッジにしたりしていた。またグッズではないけれど、立体造形という意味では、クチバシとリュウさんを紙粘土で作ったこともあった。
 しかし手芸という発想はなかった。
 それ以降の人生から、昔のことを振り返ったとき、記憶が勝手に改竄されて、大学生の僕もわりとちまちまと針仕事をしていたような気さえしてくるのだが、そんな事実は一切ない。中学の家庭科の授業からこのときまで、僕は縫製なんてまるでしないで生きていた。
 だとすればこのときの彼女の発言って、かなりとんでもないものだということにならないか。
 このあと5月に、

 ジュンク堂に行く。後藤三枝子「手縫いのきほん おさらい帖」(小学館)と、きっかけ本54「フェルトのマスコット」(雄鶏社)と、レディブティックシリーズno.2537「改訂版 手のひらサイズのぬいぐるみ」(ブティック社)の3冊を購入。やろうと思ったら急に熱が高まってきた。どうして僕はいままで鶴を折っていたのだろう。針を通していればよかったじゃないかと後悔する。

 という記述があり、さらにはこの翌日、

 出勤前に手芸用品を買い集める。昨日買った本で、裁縫を始めるにあたりとりあえず買うべきものをリストアップしていたのだ。しかしいざ買いに行ってみると意外と目的のものが見つからず難儀した。手芸洋品店っていうのはどうしてあんなに閉鎖的な感じなのだろう。花柄ふわふわロングスカートのおばさんたちが跋扈していて入りこめない。時間があまりなかったこともあり、フェルトと最低限の針と糸ぐらいしか買えなかった。残念。

 と来て、さらにさらに翌日、

 今日も出勤前に手芸用具を買い出し。
 昨日「不親切だ」と憤った店に再び赴き、見るべきフロアを間違っていたことを悟る。申し訳ない気持ちだ。客に女子高生とかもいて。実は割と目的のものが充実していた品揃えを見て回り、ひと通り必要なものを揃える。やった。
 でも買い物を終えてしばらくしてから、綿を買い忘れていたことに気がつく。しくじった。明日さっそくなんか作ろうと思っていたのに……。それとも1日でそんな段階に行かないだろうか。素人だものな。運針の練習からか。まあいいや。のんびり行こう。

 とあり、僕の手芸がスタートを切った日は、しっかりと記録されているのだった。
 出勤前に手芸店に立ち寄るなんて恵まれた環境だな、と今現在から見るとうらやましく思う。なにしろ当時の勤務地は池袋の駅ナカだったので、店はいくらでもあった。ちなみにこのとき行った何フロアもある手芸店というのは、懐かしきキンカ堂である。そうだ、当時はまだキンカ堂があったのだ。僕は最初の手芸用具を、今はなきキンカ堂で揃えていたのだ。だからなんだよという気もするが、なんとなく感慨深い。
 そしてこの日から3日後、「ヒット君フェルト人形」の第1号が完成する。


 まずは第1号。練習みたいなもので、仕上がりにはもちろん満足していない。ちなみに写真ではあまり立体感が伝わってこないかもしれないが、きちんと綿を詰めたので立体であることは確かだ。これ見よがしな右腕の感じとかからそれは感じ取ってもらいたいと思う。

 ちなみにこの記述、画像は「俺ばかりが正論を言っている」に投稿され、それについてのキャプションは「KUCHIBASHI DIARY」に投稿されていた。前者は画像だけ、後者は文章だけのブログをモットーとしていたため、どうしてもそういう形となるのだ。23歳の僕、なんと厄介な奴なのか。なるほどこの時代のこういうカルマがあるものだから、素直にInstagramが受け入れられないのだな、としみじみと思う。
 仕上がりには満足していない、と書いてあるが、このあとざっと200体くらい作ったんじゃないかと思う僕から言わせてもらえば、喜ばしいことなのかあるいはその逆か、判断をあぐねるところだけど、この第1作は、ほぼほぼ立派な完成品だと思う。それはまあ、作ってゆくうちに微妙な調整は重ねたけれど、はっきり言ってそこまで違わない。うちの子に与えればこのヒット君も、新しいヒット君と区別なく仲間に加えられることだろうと思う。
 かくして僕の手芸ライフはスタートし、やがて手芸の枠を超え、縫製へと進み、さらにそれは生業とまでなる。人生ってすごい。細かい手作業が好き、という生来の気質はあったにせよ、第三者からの後押しなしで、社会人になってから突然手芸を始めることはあっただろうか。なかったとしたら、のちに縫製業を目当てに岡山に移住するという流れも生まれないことになり、だとすれば今とぜんぜん違う人生だろう。考え始めるとおそろしい。