草創期だった ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 
「おもひでぶぉろろぉぉん」はようやく2007年へと突入した。
 2007年に入ったということはどういうことか。
 せーので言おうよ、せーの!
「KUCHIBASHI DIARY」が始まったということ! 
 そうなのだ。2007年の元日に「KUCHIBASHI DIARY」は開始されたのである(ただし正確には3日に開設し、1日と2日は遡って書いた)。
 やっぱり「KUCHIBASHI DIARY」、そしてその後を継ぐ「USP」という、メインブログと呼べるものがあると、なんとなく地に足がつくというか、本式になったな、という感じが出てくる。草創期が終わり、ここから僕のブログ活動は正史に入ったと言ってもいい。たぶんこの、屋台骨となる確固たる存在としてのブログを持つという発想には、ファルマン(当時はまだ「恋人」や「ぱぴこさん」と呼んでいる)の「うわのそら」に対するコンプレックスもあったのだと思う。
 そのファルマンは、社会人になって初めてのこの年末年始、なんと10日近くも島根に帰省をしている。上の妹が成人式だったので、そこに参与する意図もあったようだ。
 置いていかれた僕はどうしていたかと言えば、なにしろ書店員だったのでそもそもそんな長期の休みはなかった。それでも大みそかや三が日は休みだったようである。
 大みそかは中村橋のアパートでひとり、買ってきたパックの鮨を食べながら、「俺ばかりが正論を言っている」をひたすら投稿していた。その数なんと13。その記事の中で、「自分はこの1枚1枚の記事のアップごとに一回ずつオナニーをしている」という記述があった。そして「これでもう8枚目なので、もう8度している」と。当時23歳であったとは言え、もちろん嘘に決まっている。嘘に決まっているのだが、17年の時を経て、この23歳の青年のことを、自分そのものではなく、少し他人として眺めると、これがジョークなのか、実際の報告なのか、すぐには判断がつかなくて、17年という歳月が、やっと僕にこの客観的視点を与えてくれたけど、リアルタイムでこれを読んだ他人は、リアルタイムにこの気持ち悪さを抱いたわけで、いまさらながら申し訳ない気持ちになる。ウェブ日記って、日記だから赤裸々で、でもウェブだからワールドワイドで、そこに悲劇が生まれる。自分のことを書くという行為は、もちろんある程度自分を客観視して書くわけだけど、でも今日や昨日の自分はどうしたって自分自身なので、客観視には限界がある。本当に客観的見地から、これは投稿してもいい内容か否かを判断したければ、15年くらい経ってから読み返し、オッケーならば投稿ボタンをクリックするよりほかない。ちなみにこのオナニーの話には続きがあり、「どうしてこんなにマスターベーション(なぜか1枚の紙の中でオナニーと言ったりマスターベーションと言ったりしている)をしているかと言えば、明日ここに年賀状をアップするつもりだが、黒い紙に精液で「あけましておめでとう」と書きたいからだ」と前フリをしたのち、本当に翌日、アップしている。


 もちろんこれは白いインクの筆ペンで書いたのだが、なんというか、23歳の僕は、ジョークの種類がどぎつくて嫌だなと思った。粗いというか、勝手というか、一言で言えば若気の至りということになるのかもしれないが、こんなにもどうしようもない感じだとは思っていなかった。怖い怖い。
 三が日は、元日の午後から横浜に帰り、そこから姉夫婦の車に乗って、山梨に向かっている。姉夫婦の娘は来年で高校生になるが、それがまだ生まれていない時代だ。僕がまだこちらの一族で最年少だった時代だ。なんと遠い日々だろう。
 ちなみにこの記述の中で、『本当は行きたくないんだが、行かなくて来年までに祖母になにかあったらよくないので行く。お年寄りというのは自らの命でもって周りを脅迫することだと思う。』とある。17年後の今これを読むと、だいぶ笑える。祖母が今も健在だからだ。ちなみにタイムリーに、いま現在が年末年始の1ヶ月前で、帰省をするならば新幹線のチケットのことを考えなければならないタイミングなのだが、だいぶ迷った結果、この年末年始の帰省は行なわない方針とした。この理由についてはまた別の場所に書くかもしれないが、17年後の今回の帰省においても、次回までに祖母になにかあったら……、という懸念はもちろんあったわけで、しかしそれとまったく同じことを17年前にも思っていたのだと思うと、少し気が楽になるというか、ざっくばらんに言えば、悩んでいたのが少々バカらしくなったというか、まあ長生きした分、回数的にはしっかりと顔を出しているのだから、いまさらあくせくしなくてもいいか、という心持ちになった。これは長く日記を書いていることの効用だな。
 山梨に1泊し、2日にまた姉夫婦の車で横浜に戻ってきている。2日の夜は職場の人たちとの新年会ということで、新宿で鮨を食べている。なんとなく覚えている。でも本当になんとなくだ。わりと同年代だったのだけど、僕は準社員で、他の人たちはバイトで、彼らは書店ではなく別の就職をしたので、付き合いは短かった。今ならLINEなどで長く繋がったかもしれないが、当時はきちんと繋がりを保とうとしなければ、繋がりは簡単に切れた。それは今の世の中に照らし合わせて、いいことのような気もするし、とても寂しいことのような気もする。SNSができる前の人間関係は、わりと泡沫な部分があり、もしかするとそれは人類史において草創期だったのかもしれないとさえ思う。
 17年前、みんな若かったし、みんな変わった。しみじみと思う。もしかすると年を取ったのかもしれないな。