手書き日記の系譜 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 おもひでぶぉろろぉぉんは2006年の秋に入っている(ペースが遅い)。
 メインブログは相変わらず「俺ばかりが正論を言っている」で、これは2007年の元日に「KUCHIBASHI DIARY」が爆誕するまで続く。手書きで、イラストなんかも織り交ぜつつ、月間の投稿数が普通に30とか40あるので、びっくりする。幼稚園の先生か、俺は。
 ちなみに「投稿」という言葉をいま使ったけれど、この「俺ばかりが正論を言っている」内での発言として、「俺はホームページの更新なんてしたことない。更新じゃなくて邁進だ」というのがあり、懐かしかった。たしかに僕は言っていた。邁進。いつの間にか言わなくなったな。そう言えば数年前に、太極剣の指導書にあった、「進は進、退も進」という言葉に深く感銘を受けたという出来事もあった。20代で邁進し、そして30代で退も進の境地に至ったのだと思うと、ひとりの青年の精神の成熟の過程として、なかなか趣深いものがあると思う。
 人生の午前と午後、なんて発想は哀しくなるのでしたくないけれど、月に30も40も投稿している当時の「俺ばかりが正論を言っている」の、愉しそうさは、眩しくて少し当てられるほどである。あくまで「愉しそうさ」であって、「愉しさ」でないのがポイントで、時代の変化もあり、読んで内容がおもしろいかと言えば決してそんなことはない。しかし、やってて愉しくてしょうがなかったんだろうな、というのは揺るぎなく伝わる。実際そうでもなければ30も40もやらないだろう。30も40もやる熱情たるや。
 なんてったって手書きである。手書きブログという形式は、いまも「BYAPEN」があるわけだが、そちらの最新投稿は2022年の6月である。そしてそれが22年唯一の投稿で、21年は2、20年は4と、もはや死に体、瀕死の状態である。手書きのやつやってないな、とは思っていたが、こんなにもやっていないとは思っていなかった。ちなみにこのブログの開設が2018年の1月で、なんだかんだでもう5年以上が経つわけだが、その期間の合計記事数はちょうど30となっており、20代の僕ならばひと月で平らげてしまう数字だ。なんだこれ。ちょっと、さすがに、あんまりではないか。
 手で文字を書かないということ、生活の中でぜんぜん手書きをする場面がないということに、たまに猛烈な危機感を覚える。手で文字を書くことで得られる効果というのは、たしかにあるのだ。この5年間は、それをみすみす手放してきた5年間であった、とも言えると思う。
 このあたりでひとつ、猛省をして、いまひとたび、手書き日記への意識を高めてみようかと思う。手書き日記は、おもひでぶぉろろぉぉん的には、抜き出し作業をしづらく、厄介なのだが、退いた果てに、邁進するかつての自分を見て、感じるところがあった。最初は手が疲れるだろうな。もうすっかり衰えているだろうな。