MGW ~おもひでぶぉろろぉぉん~
2006年の手書き日記は、4月から5月へと進む。
4月の終わりに僕は、別の会社の面接を受けていた。そりゃそうだろ、逆にそのときのお前にそれ以外にやるべきことがないだろ、という話ではあるのだが、身内(本人)びいき褒めておこうと思う。えらい(在学中にやってたらもっとえらい)!
前回の所が、それなりに企業っぽい、スーツで働くような会社であったのに対し、今回の所は、マンションの一室をオフィスとする、編集プロダクションであったようだ。ものすごくうっすらとだが、面接のときの記憶がある。「仕事してて、気づけば零時を過ぎてる、なんてことがよくあるよ。でも案外気にならないよ」みたいなことを言われ、衝撃を受けたのだった。
いまから見れば、勤務時間もなにもないだろう、保険なんかもしっかりしてないだろう、そしてちょっとなにかあったら簡単に消し飛ぶだろう、そんな所、絶対によせよ、と思うのだが、やはり藁にも縋る思いだったのだろう、採用通知があれば受けるつもりだ、と僕は記している。
結果はめでたく不採用で、これはイソップ童話の「すっぱい葡萄」でもなんでもなく、本当に落ちてよかったと思う。文芸学科卒が、編集プロダクションで、零時まで働かされるなんて、そんなのやりがい搾取以外の何物でもない。もしも採用され、勤めてしまっていたら、いったいどんなことになっていただろう。別に、ここで搾取されなかったことで、その後さまざまなことが順風満帆に進んだということも決してないのだが、それでもかなりの確率で、いまよりもよくない未来になっていたんじゃないかなー、という気がする。
ちなみに会社名や所在地で検索したところ、それらしいものは出てこなかった。でもこれは当たり前のような気もする。結局、会社というより、中心となる人物と、その周辺のライターたち、みたいな感じの共同体だったんじゃないかと思う。危い存在だな。
かくして僕の無職生活はまだ続く。
5月に入り、GWに突入する。M(無職)GWである。健全な勤め人であるファルマンは4泊5日で実家に帰省してしまったため、仕方なく僕も、無意味に1泊2日で横浜の実家に帰っていた。よく顔を出せたと思う。大学を卒業し、家を出て、しかし就職はしていない、という状況なので、帰るほうも迎えるほうも、なんとも言えない感じだったろうなあ、と思う。
実家には祖母もいて、途中で姉もやってきたと記してあった。姉は、この時点でもう結婚していたな。正確な日付は覚えていないが、結婚式があったのは、僕の大学時代だったはずである。そのときファルマンとは既に付き合っていたから、2年生以降。この際、式場のトイレで父と一緒になり、小学2年生で離婚がなされ、そのあと中学生の頃に父方の祖父の葬儀に出て以来の久々の再会であったが、どちらかが小便器に向かい、どちらかが手を洗いながら、「タバコなに吸ってんの」と訊かれ、「ラークマイルド」と僕が答えたら、「いまどきだなあ」と、ものすごく適当なコメントを返されたことを覚えている。僕がタバコを吸っていたのは、大学3年生くらいまでだったので、姉の結婚はそのくらいの頃ということになる。そして姪が生まれるのは2008年なので、姉はまだ身軽だったし、最近の横浜の集いの最中、しみじみと思うこととして、かつて我々の一族は人数が少なかった。日記には、「久しぶりに4人が集った」と書かれていて、結びつきが希薄だなあと感じた。別に今も、この4人の結びつき自体が強まったわけではないけれど、無邪気で無遠慮な子どもの存在というものは、親類同士を良かれ悪しかれ絡ませるものなのだな、ということを思う。
この日は4人でユニクロに行き、祖母は僕に1万円をくれ、姉が見立ててくれてポロシャツやズボンを買っていた。やべえな。祖母に金をもらい、姉の見立てで服を買う。やべえな。やっぱりこの時点で実家を出たのは正解だったのだな、とこの記述を読んで思った。
7日が日曜日で、この日にたっぷり実家にいたファルマンが戻ってきていた。翌日からはもう出勤とのことで、僕は「がんばれ。」と書いている。お前ががんばれよ。