無職日記完結 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 1ヶ月ほど前から始めた、22歳の春の手書き日記読み返し作業を、6月末日の今日で終わらせることにする。読んでいると胸がいっぱいになるのであまりハイスピードで読めない、ということを前から言っていたけれど、どうもこの作業の乍中にある限り、当時のしょっぱい気持ちは精神に影響を与え続けるようで、早く断ち切りたいと思ったのだった。
 5月の後半、僕はとある町の書店の契約社員の募集に応募し、面接の末に落とされていた。このあと結果的には別の書店で働くことになるわけで、もしもここに採用されていたら、よほど社風や人間関係などに恵まれない場合でない限り、しばらく働いていた可能性はある。同じ書店業でも、勤務地が違えば、そこから派生するさまざまな事柄が変わっただろう。世界はパラレルワールドだらけだ、ということをしみじみと思う。
 この面接の際、その町でたまたま大学時代の同級生の姿を見つけたが、なんとなく引け目があって話しかけれなかった、ということが書いてあった。しょっぱいなあ。
 
 好もしく、罪のないものが好きだ。落ちついて考えれば悲壮になりやすい人生を、軽妙に生きたい。(5月26日)

 なんだか心配になるほど、すっかり弱気だ。この時期、落語や、ジョークの本や、武者小路実篤なんかを読んでいる。よほど傷つきたくなかったのだろう。人間社会における、少しの悪意も目の当たりにしたくなかったのだろう。分かるよ。分かるけど、ダメだよ。
 このあと僕は、また別の書店に応募する。ファルマンが新聞かどこかから募集を見つけてきた、ということが記録してあった。結果的にここに採用され、2ヶ月あまり続いた無職生活は終わりを迎えることとなる。
 なにしろ生活の見通しが立たない日々だったので、そこから解放されたことに僕は大いに喜んでいた。ファルマンと飲みにも行ったし、実家の面々からも喜ばれた。祖母からは就職祝いを贈られる。

 卒業と就職のタイミングを分けたことにより二度もらうというトリック。わーい。(6月2日)

 うっせえよ、と思う。なんか自分が相当なダメ人間のように思えて、本当に気が滅入る。当たり前と言えば当たり前だけど、今の僕は、このときの僕に較べて、だいぶ分別がついた。そのことが実感できるという面では、この読み返し作業も、精神的にプラスの作用があると言えるかもしれない。
 最後の193枚目は、6月5日に書かれていて、月曜日だが初出勤というわけではなく、今後の打ち合わせのようなことをしてきた、ということが記されていた。たぶん次の日からが勤務だったのだろう。だからこの手書き日記は100%の純度で、無職時代に書かれたもの、ということになる。道理で気が滅入るわけだ。
 ちなみにようやく決まったこの就職、実は長く続かない。この約2ヶ月後、お盆あたりで辞めている。6年あまり勤務する書店は、これの次の所である。この2ヶ月間のことは、労働のことを詳細に綴ることは基本的にしないので、もう思い出の中にしかないが、まあ2ヶ月で辞めるのだから、快適なものでなかったことは間違いない。ちなみに勤務地と言えば、なにを隠そう六本木で、それもやけにハイクラスな感じのオフィスビル内の店舗なのであった。あれはなんか、実に嫌な感じの、いけ好かない世界だったな。そして恒例の、あの会社いまどうなってんのやろな検索をしたところ、その書店の会社は、本店のみを残して他のすべての店舗がなくなっていた。書店って、まあそうだろうな。
 かくして2006年春の手書き日記――もう「無職日記」と銘を打ってしまおう――を読み終える。つらい作業だったけど、自分の人生にちょっと厚みが増したような気もするので、やってよかったとも思う。これからおもひでぶぉろろぉぉんはふたたび、ウェブにアップした記事編に戻る。よかった。日記はそれくらいでちょうどいい。