実家を出る ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 ゆるやかなペースで進む「おもひでぶぉろろぉぉん」は、2006年の3月下旬へと至り、僕は横浜の実家を出た。当時は当人なのでそこに至るまでの流れは自明だったのだろうが、こうして17年の年月を経て、本人ながら当人ではなくなってみると、あまりにも唐突だった。春に大学を卒業するということは書かれていたが、就職が決まったという話は一切なかったので(事実なかったのである)、実家でフリーター乃至ニート的な存在になるのが、この場合の一般的なパターンであったろう。それが急な独立。収入の当てがまるでないのに部屋を借りて、ファルマンと同じコーポの別の部屋に住むという、通称「5分の4同棲」を開始したのだった。
 それから17年を経て、自分が子どもの親になって、思う。
 大馬鹿者、と。
 自分の子どもがそんなことをしたらすごく嫌だ。あり得ない。
 でもたぶん、結果的にはよかったのだ。あのとき実家でフリーターのパターンを選択していたら、17年後の今も、同じ状態が続いていたのではないかという気がする。
 しかしそういうことを考え出すと、今の自分の存在が、どこか頼りなく、うすら寒いもののように思えてくる。今の状態というのは、常道ではないほうの選択をした結果として得たものなのだと。もっともそんなことを言ったら、あの卵子とあの精子の組み合せで自分が出来ているのだということを考え、この世に確かなものなんて何もないのだ、という気にもなる。
 しかしこの転居はとにかく、僕の人生の重大なターニングポイントだった。それは間違いない。懐かしい。中村橋だった。コモディイイダのすぐ近くだった。