ばかと鶴 ~おもひでぶぉろろぉぉん~

 おもひでぶぉろろぉぉんはまだ2005年。
 大学4年生の秋である。卒論のことはしきりに語るが、春からの身の振り方、つまるところ就職関係については、信じられないくらい無言を貫いている。そういう方針なのだろうかと疑いたくなるほどだ。SNSが発展した現代、たしかに就職関係についてネットであけっぴろげに語るのはあまりよくないのだろうと思う。だが当時はまだそこまで実社会とネットが結び付けられていなかったはずで、就活をテーマにしたブログなんかも多々あったろうと思う。じゃあ僕は就活のことは就活のことで別のブログに書いていたということか、と言えばもちろんそんなことはない。無言だったのは、語ることがなかったからだ。活動をしていないのだから、書くことがあるはずがない。
 就活のことを書かない代わりに、22歳の僕は、卒論の進捗状況と同時に、1日に折った折り鶴の数を記録していた。
 ばか、と思う。
 18年後の、39歳になった自分が、当時の自分にかけてやる言葉は、それしかない。折り鶴なんか折ってないで就活しろ、とは言わない。たぶん必死で就活して、運良く内定を得ていたとしても、僕はその仕事をじきに辞め、未来は現在の僕となんら違わないだろうと思うので、そんなことを言ってもしょうがない。しょうがないけど、でもやっぱり、ばか、とは言いたい。
 11月20日の「ORIDURU」報告はこうである。

「鶴は4羽(計414羽)だが、僕は折り鶴よりも池脇千鶴のほうが好きだということに気が付いた。」
 
 ばかだ。大学4年生の秋に、3.5センチ四方くらいの小さい折り紙(普通サイズの折り紙を自分で裁断していた)で400羽の鶴を折り、そして折り鶴よりも池脇千鶴が好きだとホザく。あまりにもばか。
 あまりにもばかで、あまりにも愛しい。いまここに22歳当時の僕がいたら、ばーかばーか、とさんざん罵ったあと、乱暴に抱きしめてやりたい。お前はこのあと、就活をしないまま大学を卒業し、しばらく無職で過す。そしてその時期に折る鶴の量は、このときの比じゃない。そしてその合計数千羽にもなった折り鶴は、いろいろあって岡山から島根に2度目の移住をする際、ファルマンによってなんの断りもなく破棄されるのだ。
 そんな未来をお前は知らない。
 俺はお前が愛しいよ。